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北海道のアイヌ語地名 (984) 「ピラポロナイ川・ラビモクコネ川・ヘチオナマイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ピラポロナイ川

pira-oro-nay
崖・の所・川
(典拠あり、類型あり)

弟子屈の市街地の後背に、巨大なアンテナがいくつも並ぶ「美羅尾山」という山がありますが、「ピラポロナイ川」は美羅尾山の東麓から釧路川に注いでいる……とされます。

明治時代の地形図にも「ピラオロナイ」という川が描かれているのですが、釧路川に合流している位置を考えると、現在「ラビモクコネ川」とされている川の位置に「ピラオロナイ」と描かれているようにも見えます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には釧路川の西岸に「ヒラヲロナイ」という川が描かれています。ややこしいことに「ヒラヲロナイ」の少し下流側の *東岸* にも「ヒラヲロ」という川?(地名かも)が描かれているのですが、戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

また山の上しばし小笹原を行に槲柏原、是山ヒラヲロノホリと云。其下また
     ヒラヲロ
西岸小山の下赤兀崩平也。此辺川屈曲して甚し。また川東岸は平地木立(原?)にして、処々谷地多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.436 より引用)

ここでは「西岸小山」とあるので、やはり釧路川西岸に「ヒラヲロナイ」があったと見て良さそうでしょうか。下流側東岸の「ヒラヲロ」は何かの間違いの可能性もありそうです。

永田地名解には次のように記されていました。

Pira oro   ピラ オロ   崖處

川名は「ピラポロナイ」なので、pira-oro-nay で「崖・の所・川」と考えられそうです。これは「美羅尾山」と同じく、美羅尾山の東麓が釧路川のところまでせり出して崖になっていることに由来するのでしょうね。

ラビモクコネ川

chep-un-pira???
魚・入る・崖
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

「美羅尾山」と南南西にある「黃葉山」の間あたりから、美羅尾山の南麓を東に流れて釧路川に注ぐ川です。地理院地図にも川として描かれていますが、残念ながら川名の記入はありません。

明治時代の地形図には、現在の「ラビモクコネ川」の位置に「ピラオロナイ」が描かれていました(前述)。

現在の「ピラロナイ川」の川名が少し南を流れていた「ピラロナイ」から拝借したものなのであれば、「ラビモクコネ川」も少し南の川名(または地名)を拝借したものである可能性が出てきます。ということで改めて明治時代の地形図を眺めてみたところ……こっ、これは……!

弟子屈町の市街地のど真ん中を流れる釧路川は大規模に流路の改修が行われていますが、かつてはひどく蛇行した川でした。国道 241 号の「摩周大橋」の南東に「水郷公園」という公園があるのですが、この公園の池?も河跡湖のようにも見えます。

明治時代の地形図には、現在の「水郷公園」のあたりに *右から* 「チエプウピラ」と描かれていました。chep-un-pira で「魚・入る・崖」だと読めるのですが、これをうっかり左から読んだとすると「ラピンウプエチ」となります。

「ラビモクコネ」との違いは依然として大きいですが、「ン」の字が比較的不明瞭ということもあるので、「ラピウプエチ」が誤読に誤読を重ねて「ラビモクコネ」になった可能性が高いのではないか、と思うのですが……。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ヘチオナマイ川

pechir-oma-nay??
水が殆ど流れない谷・そこに入る・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

「鐺別川」は釧路川の支流の中では大きなものの一つで、弟子屈の市街地(JR 釧網本線・摩周駅の近く)の南東で釧路川と合流しています。「ヘチオナマイ川」は鐺別川の北支流で、「黄葉山」の北西あたりから山麓をクルッと回って南東方向に流れています。残念ながら地理院地図には河川として描かれていないので、雨が降った直後しか水が流れないような川なのかもしれません。

先程の「ラビモクコネ川」(もしかしたら「ピラオロナイ」かもしれない)を遡って鞍部を越えた先が「ヘチオナマイ川」の水源だ、ということになりますね。

明治時代の地形図には「ヘチオマナ・・イ」と描かれていました。「──オマナイ」であれば -oma-nay の可能性が高そうですね。

「東西蝦夷山川地理取調図」や永田地名解などには情報が見当たらないのですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

へチオマナイ
湖望川(営林署図)
 鐺別温泉集落の上流 3 キロ付近で、北側から流入しており、水源は美羅山麓である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.323 より引用)※「鐺」は金へんに「当」

「鐺別温泉」は道道 53 号「釧路鶴居弟子屈線」の「桜橋」を渡ったあたりで、現在は「桜丘」と呼ばれる一帯のようです。

 ペチㇽ・オマ・ナィ(pechir-oma-may 流れるとも流れぬともつかぬ谷川・ある・川)の意か、ぺㇱ・オマ・ナィ「pes-oma-nay 崖(水ぎわの崖)・ある・川」とも読めるが、何ともいえない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.323 より引用)

pechir という語にはちょっと記憶がないのですが、知里さんの「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。

péchir, -i ぺチㇽ 【キタミ】流れるとも流れぬともつかぬ谷川。[pe(水)chir(滴流)]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.87 より引用)

改めて pechir の使用例を調べてみたところ、永田地名解にも出てくる由緒正しい(?)語だったようです。「水が殆ど流れない谷」であれば「ヘチオナママナイ川」の特徴にも一致するので、pechir-oma-nay で「水が殆ど流れない谷・そこに入る・川」と見て良いのではないでしょうか。

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