「小笠原神社」を後にして、車を停めている「扇浦海岸」に戻ります。
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小学校の跡だったと思しき「扇浦園地」に戻ってきました。公園の隅に作業中の車が停まっていたのですが、いつの間にか車の姿が見当たらなくなっています。
小花作助之碑
都道 240 号・通称「湾岸通り」の海側にあるテラスに戻ってきました。テラスの前には石碑があり……
現地では全く気づいてなかったのですが、右側に看板を立てていたと思しき柱があったんですね。「小笠原諸島父島コースガイド」かと思ったのですが、「──コースガイド」は角形のフレームに固定されている場合が多かったので、違うような気もします。
石碑は「小花作助之碑」とあります。朝寝・朝酒・朝湯が大好きな人……ではなく、1861(文久元)年に「咸臨丸」で小笠原諸島に渡り、島々の地勢や住民を調査するなど、小笠原諸島の領有の礎を築いた人物です。
「小花作助之碑」の文字の隣には「小笠原諸島返還 二十周年記念事業実行委員会」と刻まれています。随分と昔のことのようにも思えますが、実は 1988(昭和 63)年が「返還二十周年」だと気づいて愕然としました……(思った以上に最近だった)。
ちなみに石碑の裏側は……設置当時の村長さんの名前がある以外は、特に変わったところはありません。この岩は火山性のものなんでしょうか……?
三日月山を望む
テラスは(小港海岸やコペペ海岸とは違い)しっかりした屋根がありますが、東側のトイレの部分以外は壁の無い、とてもオープンな構造です。
扇浦海岸から北北西を望みます。左端に見えているのが「烏帽子岩」で、奥の方(烏帽子岩の右)に見えているのが「三日月山」ですね。
三日月山の頂上付近を目一杯ズームしてみました(焦点距離 300 mm、フルサイズ 450 mm 相当)。曇り空ということもあり、かなり残念な感じの写真です。
ということで、例によってフォトショでごちょごちょと弄ってみました。
よーく見ると、頂上の左手前に「三日月山園地展望台」らしき場所が見えています。補正後の画像をピクセル等倍でトリミングしたものですが、やはりと言うべきか、ノイズがえげつないですね……。
沈船・濱江丸の話
砂浜のすぐ手前から北のほうを眺めます。扇浦は父島で最初に開拓された場所ですが、いつの間にか北側の大村地区が父島の中心地となってしまいました。中心地が大村地区に移転した理由は浅学にして良く知らないのですが、大村地区は南向きの平地が広がっているとか、扇浦は遠浅の砂浜が続いていて港湾施設を設けるうえで最適では無かったとか、その辺でしょうか……?
ここで突然おがまるパック「父島観光オプション」の「バス半日観光」の話題に戻るのですが、「小笠原亜熱帯農業センター」の次の立ち寄り地が「扇浦海岸」で、「扇浦海岸」から終点の「小笠原観光有限会社」に向かう途中で通る「境浦海岸」で「沈船
「濱江丸」は 1936(昭和 11)年に竣工した貨物船で、海軍に徴用された後、1944(昭和 19)年にサイパン島から退避する途中で米軍の空襲で損傷し、辛うじて辿り着いた硫黄島から父島まで避難したものの二見湾で座礁してしまいます。最終的に米軍の魚雷が命中して破壊されたものの、船の残骸は完全に水没すること無くそのまま放置され、戦争遺構の一つとして境浦海岸の沖合にその姿を見せています。
これは先程の写真をピクセル等倍でトリミングしたものですが、「濱江丸」らしきものが見えるような、見えないような……(どっちだ)。沈船「濱江丸」は長年の風雨に晒されたことで風化が進み、年々水上に見える姿が小さくなっているとのこと。そもそも扇浦から見えるのか……という疑問もあるのですが、位置的にはギリギリ見えても不思議は無さそうな感じです。
「アカダコ」
扇浦海岸の西には「
父島のあちこちで見かける歩道の絵入りタイルですが、今度は「アカダコ」とのこと。正式名称は「ビヨウタコノキ」と言うのだそうですが、小笠原固有種の「タコノキ」とは異なり、「ビヨウタコノキ」はマダガスカル原産の外来種とのこと(!)。
まぁ外来種には罪は無く、固有種の楽園に不用意に持ち込んだ人類に非があるのですが、絵入りパネルには小笠原のマイマイの天敵として知られる外来種の「グリーンアノール」を描いたものもあるくらいで、固有種・外来種を差別すること無く取り上げているのは、ある意味公平で望ましい取り扱いなのかもしれませんね(グリーンアノールはGホイホイみたいなトラップで大規模に捕獲を行っていますが……)。
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