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「脱脂粉乳」は「家畜のエサ」だったのか

Bojan、牛乳を語る

今を去ることウン十年ほど前、私がキュートなお子ちゃまだった頃、昼食は、小学校では「給食」で、中学校では「弁当」でした。ただ、どちらも「牛乳」だけは支給されていました。炎天下に置かれたせいで、生暖かくなる一歩手前の牛乳を飲まされるのは、今から思えばなかなかつらいものがありました。

それと、自宅にて、マグカップに牛乳を入れてレンジで加熱した後、表面にできた皮を剥いだ残りの牛乳を飲むというのも……、あんまり楽しいものじゃなかったですね。なんか「味がしない」ような印象がありました。

やっぱ脱脂粉乳でしょ♪

流浪の番組タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」で、随分前にタモさんが語っていたのですが、「給食とかで牛乳飲みましたよね?」との安斎(肇)の問いかけに対して、タモさんは顔をしかめながら「オレの頃は脱脂粉乳だった」と答えていました。タモさんの生年月日は 1945 年 8 月 22 日と言いますから、「戦争を知らない子供たち」ではあるものの、「なーんにーもなーいなーんにーもなーいまーったーくなーんにーもなーい」とばかりに「やつらの足音のバラード」を地でいっていた、んじゃないかと思います。

脱脂粉乳」は、現代で言う「スキムミルク」だそうで。Wikipedia の「脱脂粉乳」の項には、次のように説明されています。

脱脂粉乳だっしふんにゅう)は、生乳、牛乳又は特別牛乳の乳脂肪分を除去したものからほとんどすべての水分を除去し、粉末状にしたもの。

「脂肪分を除去したもの」を粉末状にしたわけですね。なるほど、それでは「皮を剥いだ牛乳」以上に味がしない筈です。

脱粉(だっぷん)と略称されることもある。

これはさすがに聞いたことないですけど。なんか、語感が、ねぇ(笑)。

まぁ、タモさんをはじめ、当時実際に脱脂粉乳を飲まされた人は、軒並み「あれは不味かった」と口を揃えて言うようですね。ある程度は想像がつきますけど、本当にまずかったんだろうなぁ……。後学のために、一口だけ飲んでみても……いいかも。

脱脂粉乳」は「家畜のエサ」だったのか

さて、その「めっちゃマズい」脱脂粉乳が、どうして敗戦国の学童のもとに届いたかと言いますと、アメリカの陰謀……ではなく、ユニセフの援助物資だったんですね。脱脂粉乳は、その栄養価もさることながら、当時では珍しい、今で言う「フリーズドライ」的な形態を取ることができていたわけで、アメリカから船便で運ぶことができたのが大きかったようです。

そもそも、何で「脱脂粉乳」について熱く語っているかをご説明しないといけませんね。理由ですが、今日、タクシーの車内でたまたまラジオを聞いていたんですが、その中で「脱脂粉乳はマズかった」という話題が出ていたのですね。曰く、「アレは家畜のエサやったのを日本に持ってきたんや」と。「せやからマズかったんや」とも。

敗戦後の学校給食で「脱脂粉乳」が広く採用されていたことは基礎知識として知っていたのですが、「家畜のエサ」説については聞いたことが無かったものですから、ちょいと気になって調べてみた、というのが真相です。

結論ですが、「脱脂粉乳は、家畜のエサとして使われることもある」といったところでした。ユニセフの援助物資として学校給食で広く使われた「脱脂粉乳」が、アメリカでは「家畜の飼料」としてしか使われないような粗悪な品質のものだったのかは、肯定も否定もできないかな、といった感じです。

今や「世界の鼻つまみ者」だけど……

我々は、幸いなことに「脱脂粉乳二世」なので、当時の「脱脂粉乳」がどれだけマズかったのかは知らずに済んだわけですが……。たとえ「飲めたもんじゃない」ものだったとしても、栄養価の高い援助物資を気前よく(?)用意してくれたユニセフ……まぁ、実際には「アメリカ合衆国」ですよね……には、感謝しないといけませんね。そりゃあ、色んな意味でシャクに触る国だけど、さ。

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