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サンフランシスコ 2009/夏 #58 「パロアルト研究所とアラン・ケイの正体」

聖地パロアルトへ

さて、生まれて初めて異国で車を運転した感激は……意外と大したこと無くて(←)、何となく考えていた通りのルートを辿り始めたのでした。まず最初は Palo Alto に行こう、と。ええ、パロアルトに何があるかは、ご存じの方はよーくご存じの筈で。

最終的には、こんな道筋を辿りました。まずは国道 101 号線をひたすら南に向かいます。あ、いきなりハイウェイに乗るのはちょっと無謀だったですかね?(何をいまさら)

サンフランシスコの市内から約 30 分ほど車を走らせると、サンフランシスコ国際空港が見えてきます。それにしてもいい天気ですね。

サンフランシスコからパロアルトの街中までは約 1 時間。思ったよりも距離があります。

ちょいと街外れの、スタンフォード大のほうに車を向かわせます。すると……

やってきましたパロアルト研究所

着きました!(・∀・) そう、かの「パロアルト研究所」です!

パロアルト研究所 (Palo Alto Research Center, parc) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルトにある研究施設。複写機大手の米ゼロックス (XEROX) 社が 1970 年にアーキテクチャー・オブ・インフォーメーションの創出を目標として開設した。コンピューターサイエンス方面に与えた影響が大きく、Smalltalkイーサネットレーザープリンターなどの発明が行われた。デバイス領域では半導体レーザーや電子ペーパーの研究を行う。開放的な気風であったといわれる。
Wikipedia 日本語版「パロアルト研究所」より引用)

はい。そう、「パロアルト研究所」で行われた研究は、その後のコンピュータの進化に様々な影響を与えたのでした。ですから、PARC に縁のある人物として、こんな有名人の名前が並びます。

関連する有名人
アラン・ケイ - ダイナブック構想 Smalltalk 開発
ロバート・テイラー - PARC の設立に尽力。PARC に移る前は ARPA で ARPANET の開発に従事。
ロバート・メトカーフ - イーサネットの発明者
チャールズ・シモニー - WYSIWYG ワープロを開発。後にマイクロソフトに移ってから Multiplan などを開発。
チャールズ・ゲシキ、ジョン・ワーノック - ページ記述言語インタープレス開発。PARC を離れて Adobe を設立
チャック・サッカー - Alto の開発
スティーブ・ジョブズビル・ゲイツ - ほぼ同時期に PARC を訪問し、それぞれ MacintoshWindows を生むこととなる。
Wikipedia 日本語版「パロアルト研究所」より引用)

まぁ、この中ではスティーブ・ジョブスビル・ゲイツが飛び抜けて有名だと思いますが、これは二人ともパロアルトで研究されていた「マルチウィンドウ GUI」というアイディアをパクって財をなしたわけd(ry

アラン・ケイの正体

というわけなので、「ゼロックスのパロアルト研」と言えば、まずはアラン・ケイの名前を挙げるべきでしょう。では、アラン・ケイとはどのような人物だったのでしょうか。

安蘭 けい(あらん けい、1970 年 10 月 9 日 -)は、日本の女優。元宝塚歌劇団星組トップスター(主演男役)。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身、滋賀県立甲西高等学校卒。血液型 AB 型、公称身長 167cm。愛称とうこホリプロ所属。
Wikipedia 日本語版「安蘭けい」より引用)

意外と若かったようです(←

というわけで、本物の(←)アラン・ケイについてはまた明日にでも。

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