やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
統内(とうない)
豊頃町北西部、十勝川の西側の地名です。早速ですが、懐かしの「角川──」(略──)を見てみましょう。
とうない 統内 <豊頃町>
はい。ちょいと中略して……
地名はアイヌ語のトーナイ,又は卜-ウンナイに由来し,沼谷(アイヌ地名考),沼川(北海道蝦夷語地名解),沼から出る川(豊頃町史),沼沢(豊頃町郷土資料集)などを意味するという。
「北海道蝦夷語地名解」(永田地名解)の「沼川」という解がどこにあるのだろう……と思ったのですが、「十勝川筋」ではなく「大津川筋」に記載がありました(p.298)。永田地名解は「ト ウン ナイ」(to-un-nay)と記録していますが、明治期の地形図には「トー ナイ」とあります。un は中略される場合も割とあるので、元々は to-un-nay だった可能性が考えられそうですね。
to-un-nay は「沼・そこに入る・川」かな、と思います(豊頃町史の「沼から出る川」とは真逆の解釈になっちゃいますが)。問題はどこにも沼が見当たらないところなのですが、明治期の地形図を見ると現在の幕別町新川の東側あたりに「キムウントー」というかなり大きな沼の存在を見て取れます(kim-un-to で「山・そこにある・沼」即ち「山側の沼」と読めますね)。
そして、「トーナイ」は「キムウントー」の東側にあった「ペカンベクトー」(?)に注いでいたようです。これらの沼が現存しないのは、ほぼ同じ位置に十勝川の新川が開削されたから……だと思います。
戊午日誌 p.232 の注には「ペカンベトウ」とありますね(本文は「ヱイコツトウ」)。
また、現在の統内のあたりには「トーナイ川」は現存せず、代わりに「打内川」(うつない──?)と「平和川」が流れているのですが、明治期の地図を見た感じではペカンベクトーと十勝川をつなぐ川が「ウッナイ」で、ペカンペクトーに注ぐ川が「トーナイ」となっていました。
礼作別(れいさくべつ)
というわけで、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
礼作別 れいさくべつということで、なんと re-sak-pet で「名前・ない・川」だったみたいです。まるで「題名のない音楽会」のようですね(なんか違う)。
豊頃町内。茂岩の北隣の川名,地名。レーサクという地名は道内の処々にある。明治の測量時代には,土地のアイヌがその測量の手になり,地名もアイヌから教わって記入した。アイヌ時代はずいぶん小さい川にも名があったが,時には名のないものもあった。和人の測量者がそんな川で名を聞くとレー・サク・ペッ(re-sak-pet 名が・無い・川)とか,レー・サク・ナイ(同)と答えた。和人の方では,それを川名として記入した。それがこの名のもとだという。
地図として印刷されると,もうそれが立派な地名になる。明治29年図ではレーサクペッであったが,それに礼作別と立派な当て字をされて今日に残った。
松浦武四郎自筆日誌を見ると,処々に「無名の小川」という名が出て来る。彼はアイヌ語を知っていたので,訳した名の方を残したのであった。
農野牛(のやうし)
農野牛 のやうし
豊頃町内の川名,地名。農野牛川は元来は牛首別とは別の川であったが,牛首別の新川ができて,その北支流の形になった。
農野牛の語源ですが、戊午日誌にも次のようにありました。
また巳辰のかた五丁計も行て「艾」で「よもぎ」と読むんですね……(そこか)。noya-us-i で「よもぎ・多くある・ところ(川)」と考えて良さそうです。
ノヤウシ
右のかた小川、此辺原也。其辺には艾(よもぎ)多きよりして号しもの也。ノヤとは艾の夷言也。ウシは多しと云儀。
また、山田さんの「北海道の地名」にも次のようにありました。
永田地名解は「ノヤ・ウシ noya-ushi(蓬多き処)」と書いた。
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