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札沼線各駅停車の旅 (7) 「石狩当別・北海道医療大学・石狩金沢・本中小屋」

石狩当別駅(G13)

ということで、今更ながらに石狩当別駅の話題です。1934 年に桑園-石狩当別間が開通したのに合わせて開設された駅です(終点ですから当たり前ですが)。札沼線には「石狩○○」という駅が多いのですが、石狩当別は 1930 年に開業した「渡島当別駅」との混同を割けるために「石狩当別」を名乗ったようです。

あと、これは参考情報ですが、札沼線開通の 7 年前に、江別と当別を結ぶ「江当軌道」という私鉄が開業していました。江当軌道の起点と終点は「江別駅」と「当別」でしたが、どちらも現在の JR 駅からは程遠い場所にありました(「当別駅」は当別川の南側、江別駅に至っては石狩川の北側だったとのこと)。この「当別駅」が全然違う場所にあったことも、「石狩──」を冠した理由のひとつだったりするのかも知れません。

なお、この「江当軌道」ですが、札沼線(札沼南線)開通の 1 年半後に廃業の憂き目に遭っています。ただ「札沼線のせいで廃業する羽目になった」との認定を勝ち取ることができたので、補償金を受け取ることができたのだとか。


さて、17:27 発の新十津川行き 5433D ですが、出発の数分前になって数名のお客様が乗車してきました。いきなりぼっち確定か!? と思ったのですが、さすがにそれは無かったようです。というのも……

実は、札幌駅 16:20 発の 595M ではなく、16:40 発の 597M に乗っても石狩当別に 17:23 に到着するのですね。そして 4 分乗り換えで新十津川行き 5433D に乗ることができるのです。意外と……と言っては失礼ですが、いい乗り継ぎダイヤですよね。

北海道医療大学駅(G14)

新十津川行きの 5433D は、時間通りに石狩当別を出発しました。3 km ほど走ると、次の北海道医療大学駅です。

北海道医療大学駅」という駅名にはあまり馴染みが無かったのですが、意外や意外、国鉄時代の 1981 年に「大学前」仮乗降場として開業していました。しかも開業から僅か 5 ヶ月で駅に昇格しています(大学前駅)。その後 1995 年に現在の駅名「北海道医療大学」に改称しています。

こんなトリビアもありました。

2008年(平成20年)10月25日現在、交通系ICカードが利用できる日本最北端の駅である。
Wikipedia 日本語版「北海道医療大学駅」より引用)

石狩金沢駅

北海道医療大学から 4 分ほどで、次の「石狩金沢」です。この駅が「石狩」を冠しているのは言うまでもなく石川県の「金沢駅」と混同しないようにですが、そもそもの由来が……

樺戸集治監の看守長が囚人を使って当地の道路を開いた際、地名のないのを不便に感じ、看守長の出身地にちなんで「金沢」と呼んだのにはじまるといい、同一の駅名が北陸本線にあるので「石狩」をつけた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.52 より引用)

開拓民が出身地の地名を持ち込むのは割とよくある話ですが、集治監の看守長の出身地に因むというのは割と珍しいのではないかと……。ちなみにこの石狩金沢駅は 1935 年の札沼線浦臼延伸の際に開業していて、1944 年から 1946 年の間は「不要不急線」扱いで休止されていました。また、石狩金沢から先は駅ナンバリングが設定されていません。

本中小屋駅

石狩金沢から 6 分ほどで、次の本中小屋(もとなかごや)です。この駅も石狩金沢と同じく、国鉄時代の車掌車を改造した「ダルマ駅舎」の駅ですね。

見事に西日が反射してしまっていますが、立派な駅名標も備え付けられています。あと「学園都市線」のニックネームは石狩金沢以遠も適用対象なんですね。

駅自体の歴史は石狩金沢と全く同じで、1935 年の浦臼延伸に伴って開業、1944 年に休止され、1946 年に復活しています。

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