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アイヌ語地名の傾向と対策 (807) 「サッパオナイ川・アイシポップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

サッパオナイ川

chasi-pa-oma-nay
砦・かみて・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)

ピウケナイ川が忠別川に合流する地点から忠別川を少し(2 km ほど)遡ったところで、忠別川に北から合流している支流の名前です。

明治時代の地形図を見ると、この川に相当するところに「チヤシパオマナイ」と言う名前の川が描かれていました。もしかすると「チャシパオマナイ」が「チャッパオマナイ」に誤読された上で、「チャ」が「サ」に化けた……ということでしょうか……?

この川は「再篙石狩日誌」や永田地名解には記載が無いようですが、知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 チャシパオマナイ(Chashi-pa-oma-nai「砦・のかみ・に行く・沢」) 忠別川の左の枝川。
知里真志保知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.329 より引用)

あー、やはり「チャシパオマナイ」で間違い無さそうな感じですね。chasi-pa-oma-nay で「砦・かみて・そこに入る・川」と読めそうな感じでしょうか。

アイシポップ川

hay-us-pop???
イラクサ・多くある・湧き水
(??? = 典拠なし、類型未確認)

ということで問題のアイシポップ川です。アイヌ語地名の傾向と対策 (806) 「勇駒別」にて、「東西蝦夷山川地理取調図」に描かれている「アヨシホ」と現在の「アイシポップ川」は別物で、現在の「アイシポップ川」は記録にある「アヨシホ」の名前を誤って転用されたのではないか……と考えてみました。

現在の「アイシポップ川」は天人峡温泉から更に忠別川を遡ったところで合流していています。残念ながら知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には記載がありません。

手持ちの資料には殆ど情報らしき情報が見当たらなかったのですが、更科さんの「アイヌ語地名解」に次のように記されていました。

羽衣の滝の右手の川はアイシポップという川であるが、波のはねかえるところという、荒川の意味らしい地名で、松山温泉の前の名は単にニセィ(峡谷)といったのではないかと思うが、記録は見当たらず、直ぐ下流にあるクワウンナイという川は永田方正氏は杖(クワ)川と訳し、けわしいので杖をもたないと行けない川と訳したが、最近の五万分の地図ではクワウンナイとなっているが、古い地図ではタワウンナイと記している。

ふむふむ。あれ、何の話をしていたんでしたっけ(汗)。……ああ、「アイシポップ川」でしたね。更科さんは「アイシポップ」を「波のはねかえるところ」と解釈したようですが、「波」は kay あるいは kaye を使うことが多いような気がします。

「はねかえるところ」というのが良くわからないのですが、「アイヌ語千歳方言辞典」には sipoye で「渦巻く」という語彙が掲載されていました。ただ、これらを組み合わせたところで「アイシポップ」にするのは厳しいような気もしています。

「アヨシボ」と「アイシポップ」は別物だとしても

更科さんは「アイシポップ川」が現在の位置にあるものとして解釈を考えたように見えますが、「再篙石狩日誌」には「羽衣の滝」と思しき滝のことを「ホロソウ」と記録していて、「アヨシボ」との関連は無さそうに記されていました。やはり「アヨシボ」は現在の「熊の沢川」のことではないか……と仮定してその意味を考えているのですが、どうにもしっくり来る解釈にたどり着くことができません。

「アイシ」は hay-us で「イラクサ・多くある」と読めそうでしょうか。「ボ」あるいは「ポップ」は pop で「水が湧き上がる」ですかね……。とすると hay-us-pop で「イラクサ・多くある・湧き水」ということになる……のでしょうか。

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