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日本最長路線バスの旅(番外編)#9 「幻の国鉄一般型気動車標準色」

紀勢本線普通列車は、駅ナカ違います)に自動車教習所があるという画期的な構造の「船津駅」を出発して、終点の多気を目指します。船津川の支流の「大河内川」を渡ると、右手に紀勢自動車道が見えてきました。

ちなみに、この写真を撮影した所よりももうちょい手前だと思いますが、紀勢自動車道のすぐ向こう側に「鯨」という集落があるみたいです。山の中なのに鯨……なぜなんでしょうね。

相賀駅からは川沿いに内陸に入っていましたが、三浦トンネルを抜けて再び海沿いに戻ります。ここまでが旧・海山町で、ここからが旧・紀伊長島町でしょうか。

「三野瀬」の謎

三浦トンネルを抜けると程なく「紀伊長島区三浦」です。ところが……

駅名はなぜか「三野瀬」なのですね。実は、かつてこのあたりは「三野瀬村」という村だったのだそうです。

「三野瀬」は「浦」「道浦」「海浦」が集まったので「三野瀬」になった……とのことですが、三浦はこれらの中では一番西にあるんですよね。船津駅からの距離は 6.3 km もあるのでその所為かな、と思ったりもするのですが、次の紀伊長島駅までは 7.5 km もあるんですよねぇ……。

あと、九鬼から大曽根浦、尾鷲、相賀、船津そして三野瀬と交換(すれ違い)可能駅が 6 つ続いているのも実は結構凄いことなんじゃないかと思ったりもするのですが如何でしょうか……?

海もいろいろ

三野瀬駅を出発するとそれほど長くないトンネルが断続的にありますが、ふたつ目のトンネルを抜けたところで右手にいい感じの砂浜が見えてきました。このあたりは「紀伊長島区古里」というところのようですが、「三野瀬」の三文字に含まれていないのがちょっと気になるところです。

再びトンネルを抜けてしばらく走ると「江ノ浦」と呼ばれる入江のほとりにやってきました(地名としては「加田」)。この辺りは砂浜ではなく造船所でもありそうな雰囲気のところですね。

当たらずといえども遠からず

国道と並走して紀伊長島駅を目指します。地図を見た感じでは「江ノ浦」の東側に広がっているのが昔からの「長島」の集落のようですが、紀勢本線(と国道 42 号線)はいずれもトンネルで山向こうに抜けてしまいます。このあたりの紀勢本線が開通したのは昭和 5 年とのことで、当初から尾鷲への延伸を目論んでいたでしょうから、長島の中心地を多少外してもその先に線路を伸ばしやすいルートを選定したのでしょうね。

昭和 22 年に米軍が撮影した航空写真が見つかりました。これを見た感じでは、先ほどの推測も当たらずとも遠からずな感じですね。駅の北側に集落が形成されていますが、これが駅ができたことによるものなのか、あるいは元からあったのかは何とも言えませんが、駅の南西の、現在の地図だと「中州」と呼ばれているあたりには人家が殆ど見当たらないことがわかります。

昭和 22 年の航空写真は http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=210867&isDetail=true からどうぞ。

幻の国鉄一般型気動車標準色

紀伊長島駅が見えてきました。対向の列車が既にホームで待っているようです。

あれっ? この色は……

JR 東海と言えば、どの車両も似たようなカラーリングであることで知られています(東海道新幹線を除く)が、このカラーリングは懐かしの国鉄っぽいカラーリングですね。

どうやら 2 両編成のようですが、後の車両は JR 東海の「似たようなカラーリング」でした。どちらもキハ 40 のように見えるのですが、キハ 40 が製造された頃は既に国鉄の赤字が深刻になっていた頃で、少しでもメンテナンス費用を安く上げるために俗に「首都圏色」と呼ばれる「朱色5号」の 1 色塗りになっていた筈なんですね。

「朱色4号」と「クリーム色」のツートンカラーに塗装されていたのは、いわゆる「リバイバルカラー」の一例なんでしょうけど、たとえて言うなら東海道新幹線の「700 系」を「0 系」のカラーリングで塗装するようなもので、個人的にはちょっと「なんだかなぁ」と思ったりもします。映画のロケなどで使うのであれば、まぁ仕方がないかな、とも思いますけどね。

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