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アイヌ語地名の傾向と対策 (336) 「シカルベ山・ウツマ川・ピラシュケ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

シカルベ山

sikari-pe?
丸い・もの
(? = 典拠あり、類型未確認)

三石川を遡っていくと、三石富沢のあたりで山に挟まれて渓谷状になるのですが、三石川を挟んでいるのが samatke-iwa こと「南横山」と「シカルベ山」です。シカルベ山の北斜面には「三石スキー場」という記載があるのですが、どうやら廃止されてしまったという情報も見かけました。日高は北海道の中では温暖な場所だけに、もしかしたら雪不足もあったのかも知れませんね。

では、まずは「北海道地名誌」を見てみましょう。

 シカルベ山 316.0メートル 福畑地区の山で鹿留辺とも書く。→シカルベ川。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.571 より引用)

福畑というのは三石川の東側の地名ですね。富沢は西側の地名のようなので、そのあたりの解釈の違いかも知れません。「鹿留辺」とも書いていたのですね。悪くない当て字だと思ったのですが、やはりカタカナのほうが書くのが楽だったのでしょうか。

ということで、参照先の「シカルベ川」を見てみます。

 シカルベ川 シカルベ山の北で三石川に入る左小川。アイヌ語で本当に曲っている川の意か。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.571 より引用)

ふむふむ。si-kar-pe で「本当に・回っている・もの」と解したわけですね。「シカルベ川」の所在が不明だったのですが、シカルベ山の北側を流れる「ウツマ川」のことではなく、南側をひっそりと流れている小河川のことのようです。

ちょっと気になるのは、「シカルベ川」は大して回っている(曲がっている)ように見えないことなんですよね。対して「シカルベ山」を見てみると、北側を流れるウツマ川はシカルベ山のおかげでぐるっと回って流れざるを得ない状態です。

戊午日誌「東部美登之誌」には次のようにあります。

また樹木原の下少し上りて
     シカルベナイ
右の方小川。其名義は丸くなると云儀也。此川すし畑多し。源にシカルヘナイ岳といへる高山有るなり。此うしろはシユモロに当る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.526 より引用)

改めて萱野さんの辞書を見てみると、sikari 自体で「丸い」という意味があるようです。従って「シカルベ山」は sikari-pe で「丸い・もの」だったと考えるのが妥当なように思われます。アイヌは「川の名前」を基本に「山の名前」を名づけていたというのが一般的な流れですが、ここは数少ない「山の名前」由来の川名のようですね。

sikari-pe から流れる小河川の名前が sikari-pe-nay となり、松浦武四郎、あるいはそのインフォーマントが間違えて「山の名前」にも nay をつけてしまった、という風に思われるのですが、どうでしょうか。

ウツマ川

ut-oma-p?
肋・そこに入る・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

というわけで「シカルベ山」の北東を流れる川が「ウツマ川」です。東西蝦夷山川地理取調図に「ウツコフ」とある川のことでしょうか。

戊午日誌「東部美登之誌」には次のようにあります。

両岸此辺峨々たる山也。是よりして一人に馬をもどさせ、一同歩行にて行に、また七八丁にて
     ウツコウ
右の方滝川也。此辺え来り候哉両岸とも奇岩怪石多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.526-527 より引用)

頭注には「ukaw 岩が重畳」とあります。なるほど、うまい解を考えたものですね。

「東蝦夷日誌」には次のようにありました。

ウツマフ(右瀧)此邊兩岸共奇石怪岩のみ。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.183 より引用)

また、永田地名解には次のようにありました。

Ukop, = ukaup  ウコㇷ゚  岩塊 「ウカウプ」ノ急言ナリ

なるほど。{ukaw-p} で「岩石が重畳しているところ」と解したわけですね。確かにうまい解ですが、地形図を見た感じではウツマ川よりも三石川(本流)のほうがそんな雰囲気に思えます。

また、松浦武四郎が「ウツコフ」「ウツコウ」「ウツマフ」と全て「ウツ──」という形で記録しているのも気になります(実際に現在の川名も「ウツマ」ですし)。

少し大胆な仮説ですが、東蝦夷日誌の「ウツマフ」が最も正解に近いと考えてみました。これだと ut-oma-p で「肋・そこに入る・もの(川)」と考えられるのではないかと。

ut(肋)というのは、本流を背骨に喩えた場合に、ほぼ直角に近いかたちで本流に入る川に対して使われる語彙です。ウツマ川(の谷)も割と直角に近い角度で三石川(の谷)に入っているように見えます。

もっとも、ut-oma というのは見かけない用法でもあるのですが、実はこれが本来の形で、道内各所では oma が略された形で残っているんじゃないか……などと言った妄説も付け加えておきましょう(今のところ確証は全く無いですけどね)。

ピラシュケ川

pira-kes-ke?
崖・末端・のところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

三石川を遡ると「二川大橋」のあたりで二俣川と三石川の二手に分かれます。このあたりも「ペテウコピ」と呼ばれていたようです。もうすっかりお馴染みですね。

東側を流れる三石川の本流をさらに遡ると、やがて三石ダムにたどり着きますが、その少し手前で合流している西支流の名前が「ピラシュケ川」です。

では、今回もまずは「北海道地名誌」を見てみましょう。

 ピラシュケ川 三石川上流の右支流。意味不明。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.572 より引用)

ありがとうございました。はい次行きましょう。

「東蝦夷日誌」には次のようにありました。

ミウセ(右川)、ヒラリシケ(同)
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.183-184 より引用)

細かいツッコミですが、「ヒラリシケ」が「右川」とあるのは間違いで、実際には西側の支流なので「左川」とあるべきですね。東西蝦夷山川地理取調図にはちゃんと左川として描かれているので、これはちょっとしたミスなのでしょう(あるいは単なる誤植かも?)。

戊午日誌「東部美登之誌」には次のようにあります。

また少し上りて
     ヒラクシケ
左りの方小川。此処平の下に広き処有る沢なるが故に号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.530 より引用)

ここではしっかりと「左りの方小川」となっていますね。

永田地名解にも記載がありました。

Pi-rashuke  ピラシュケ  開ケタル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.266 より引用)

「ラシュケ」というのも聞いたことが無い語彙ですね……。あー、なんだか良くわからなくなってきました。

ここまで「ピラシュケ」「ヒラリシケ」「ヒラクシケ」と出てきましたが、一番しっくり来るのが「ヒラクシケ」でしょうか。pira-kes-ke で「崖・末端・のところ」と考えられそうな気がするのですが、いかがでしょう?

戊午日誌の頭注にも「pira-kus-ke『岩崩の・下の端・の所』」とありますね。kus がどうにも意味不明だったのですが、kes と考えれば理解できそうです。

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