やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
西舎(にしちゃ)
浦河町東部の地名です。ケバウ川と日高幌別川の間の部分で、JRA 日高育成牧場のあるところです。久しぶりに漢字の地名ですね(汗)。
JRA の牧場があって「西舎」と書かれていたら、もしかしたら西側の厩舎なんじゃないかと勘ぐってしまいますが、もともと「西舎」という地名だったようです。今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。
西舎 にしちゃ
ケバウ川と本流との間の広い平地の地名。現在は馬の牧場として名高い。
完全に内容がかぶっている上に、山田さんの文章のシンプルなこと……。見習いたいものです。
意味がはっきりしないが,土地のアイヌ系古老の話で,ニー・チャ(ni-cha 木を・伐る)の訛った形だとも聞いた。
むむ。その後の本文も随分とシンプルに来ましたね。別段おかしな流れではありませんが、もう少し裏付けをとっておきたい気もします。ということで、久しぶりに我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。
にしちや 西舎 <浦河町>
日高地方南部,日高幌別川流域に位置する。地名は,アイヌ語のニシュウチャ(臼形の海岸の意)に由来するといわれるが(浦河町史),海岸線からは数キロメートルも離れており疑問がある。
おっ。やはりと言うか、別解が出てきましたね。nisu が「臼」というのはわかったのですが、あとの「ウチャ」が良くわかりませんでした。そして、確かに内陸部の地名としては疑問の残る解ですね。
山田さんの解も紹介されています。
また,ニーチャ(木を伐るの意)ともいわれているが(北海道の地名),詳細は不明。
そして、こんな補足も……。
松浦武四郎「戊午日誌」に「キムニシチヤ」という地名が見える。
そうなんですよね。戊午日誌「東部保呂辺津誌」には、次のようにあります。
また是より川まゝを西岸の方を上るに、道いよゝゝなく樹木ふかき故に、馬を爰え頂け置、凡廿七日七月の昼頃より上りけるに、十七八丁にて
キムニシチヤ
左りのかた小川也。
ということで、大いに期待を抱かせてくれるのですが……
其名義不解也。
残念~。
さて、戊午日誌にあった「キムニシチヤ」のあたりを「東西蝦夷山川地理取調図」で見てみると、「キムニシチヤ」ではなく「キムンチヤシ」とあります。「キムニシチヤ」は意味が今ひとつ良くわかりませんが、「キムンチヤシ」であれば簡単ですね。kim-un-chasi で「山のほう・そこにある・砦」だと考えることができます。
ただ、「東西蝦夷──」と「戊午日誌」のどちらに誤記が多いかと言えば、なんとなく「東西蝦夷──」のような気がするのですよね。今の仮定だと、ちょうど真逆になってしまうのが少々引っかかるところです。もともと「キムンチャシ」という地名で、戊午日誌で「キムニシチャ」と誤記されてしまい、そのまま「キム」が略されて「ニシチャ」になった……と考えてみたのですが、いかがなものでしょうか。
オロマップ川
浦河町西舎から見て、日高幌別川の向こう側(東側)を流れている支流の名前です。
明治期の地形図には「オロマㇷ゚」とありました。また東西蝦夷山川地理取調図には「ヲロヲマニ」という記載があいます。但し東西蝦夷山川地理取調図では、本来東側の支流であるはずなのに、西側の支流であるかのような位置に描かれています。
また、戊午日誌「東部保呂辺津誌」にも記載がありました。
またしばし過て
ヲロヲマフ
右の方小川、其両岸茅野凡一里四方も有る也。山越なして此処え出来りし也。
「右の方小川」とありますが、戊午日誌では「ケハウ」が「左りの方小川」と認識されているので、それなりに信頼できそうな感じがします。もっとも、p.405 の図では「ヲロヲマ」が西側の支流として描かれているのが少々気になりますが……。
小河川には絶対的な強さを誇る「北海道地名誌」には次のようにありました。
オロマップ川 幌別川左支流。アイヌ語で水の中にあるものの意。
あー、なるほど。wor-o-oma-p と解釈したわけですね。これだと「水・入っている・そこにある・もの」となります。アイヌ語の解釈としては明瞭だと思うのですが、地名、あるいは川の名前としては今ひとつ良くわからないですね……。
少し読み方を変えると woro-oma-p で「水に漬けておく・そこにある・もの」となるのですが、水に漬かった状態の何かがある、ということでしょうか。真っ先に思いついたのが水たまりの中の湧水なのですが、それであればこんな勿体ぶった表現をせずに、mem と言ってしまえば良いわけで……。
トメナ川
浦河町杵臼・中杵臼のあたりを流れる、日高幌別川の東支流です。
「角川──」(略──)には「富菜」と書いて「とめな」と読ませる地名が記録されていますが、現在は地名としては使用されていないみたいですね。とりあえず見ておきましょうか。
とめな 富菜 <浦河町>
古くはマツリシメナ・メナなどともいった。日高地方南部,日高幌別川中流左岸。地名は,アイヌ語のトーメナ(沼の支流の意)に由来(北海道蝦夷語地名解)。
ふむふむ。確かに永田地名解の p.280 に「トーメナ」の項がありますね。明治期の地形図にも「トーメナ」と記録されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「トメナ」と記されています。
戊午日誌「東部保呂辺津誌」にも記載がありました。
またしばし川まゝ上をば上りて
トメナ村
右のかた小川也。其名義川すじ屈曲なしたる処の小さき方と云儀なり。川幅せまくしてふかし。
「川すじ屈曲なしたる処の小さき方」ですか。さっぱりわからないですね(汗)。あまりに意味不明だったので、頭注でフォローが入っていました。
沼の細流川
または
to 沼の
memu 溜り水
nai 川
の詰り語か
なるほど。to-mem-nay であれば「沼・泉地・沢」となりますね。
「マツリシメナ」あるいは「マツイシメナ」という記録もあるようですが、これは一体何でしょうね。昨日の記事でも少し記しましたが、どうやら「オバケ川」の上流あたり?に金山があったらしく、佐渡などから「金山掘り」が大挙してやってきた時代があったのだそうです。「万三郎」なる人名が由来となる「マサフロク」という地名が「戊午日誌」に記録されていて、東西蝦夷山川地理取調図」にも「マサフロ」と記されています。ですから「マツリシ」あるいは「マツイシ」がアイヌ語に由来しない可能性もゼロでは無いのかも知れません。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International