やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。本年ものらりくらりと続けていきたいと思いますので、生暖かい目で見守ってくだされば幸いです。
奥尻(おくしり)
さて。何の前置きもなく突然始まった「奥尻シリーズ」ですが、まずは島名である「奥尻」からです。
西蝦夷日誌には、次のように記されていました。
ヲクジリ〔奥尻〕
名義、ヲクは奥、シリは島にて、華夷接(まじ)りしもの也
ふむふむ。「オク」は日本語の「奥」で、「シリ」はアイヌ語の sir ではないかと考えたのですね。最近ではこういった日本語とアイヌ語の折衷地名という説は滅多に目にしないのですが、江戸時代の記録では時折見かけることがあります。
一方、「郡名之儀ニ付奉申上候條」の「後志州奥尻郡」の項においては、次のように記しています。
ヲクシリはイクシリの轉語。イクリはイクシタの略言、シリはモシリの略にて、イクシタモシリ也。此訳ハ向島の義。今に土人ニハ、イクシリと呼ブもの有也。
ほほう。そもそもは i-kus-ta-mosir で「それの・向こう・そこにある・島」だったのですね。三笠の幾春別は i-kus-un-pet でしたが、奥尻は -un ではなく -ta とのこと。なるほど、こういった使い方もあるんですね。新年早々勉強になりました。
ちなみに、現在はフェリーターミナルのある「奥尻港」のあたりが「奥尻町奥尻」ですが、このあたりは本来は「釣懸」という地名だったようです。
烏頭川(ぶし──)
赤石岬の手前、「うにまる公園」の北側を流れる川の名前ですが、同名の集落もあります(集落も「烏頭川」です)。ちなみに「烏頭川」は「ぶし──」と読むのですが、結構な難読地名ですよね。
読みが難しい「烏頭川」ですが、地名成立の経緯もなかなか複雑そうな感じです。まず、東西蝦夷山川地理取調図には「シルコウヘツ」という地名(おそらく川名)が記されています。これは surku-o-pet で「トリカブトの根・そこにある・川」だと考えられます。
一方、西蝦夷日誌には次のように記されています。
ウトカロウシナイ(小澤、砂濱)、フス(川有)、シルコウシナイ(小澤)、越て赤石(岬)
「ウトカロウシナイ」がどの辺を指すのかが判然としませんが、もしかしたら現在の「釣懸川」あたりを指すのかもしれません。utka-ru-us-nay で「浅瀬・道・ついている・沢」あたりでしょうか。
本題に戻りますと、西蝦夷日誌には「フス」と「シルコウシナイ」という川?が、それぞれ存在するかのように記されています。赤石岬から逆算すると、「シルコウシナイ」が現在の「烏頭川」で、「フス」が現在の「祖父川」であるようにも思えます。
「シルコウシナイ」が「烏頭川」ではないのかという仮説ですが、トリカブトの根を乾燥させたもののことを「烏頭」と呼ぶことから、surku-us-nay が意訳されて「烏頭川」と呼ばれるようになったのでは、と考えてみました。ただ、ここで注意が必要なのは、トリカブトの根を乾燥させたもののことを「烏頭」または「附子」と呼ぶのですが、「烏頭」は「うず」と読み、「附子」を「ぶし」あるいは「ぶす」と読むのですね。つまり、本来「烏頭」は「ぶし」とは読まないということになります。
ということで、「烏頭川」の由来ですが、surku-us-nay という地名と川名があり、地名だけ先に意訳されて「ぶし」となった。その後、学のある人が「ぶし」に「烏頭」という漢字を当てて、それが川名にも派生した、と言った感じでしょうか。
西蝦夷日誌にある「フス」と「シルコウシナイ」が全く無関係で、「フス」が pus-i(「壊裂する・もの」)である可能性も考えてみましたが、いくらなんでも偶然が過ぎるような気がするので、今回は却下しておこうと思います。
赤石(あかいし)
新年早々、想像ベースで話をぶっ飛ばしてしまったので、締めはあっさりと行きましょう。「うにまる公園」のある「赤石岬」の南側の地名です。
永田地名解には次のように記されていました。
Hūre shuma フーレ シュマ 赤石 赤石村ト云フ
これを見る限りでは、hure-suma 「赤い・岩」を意訳して「赤石」になったと考えて良さそうな感じですね。この「赤石」は、東西蝦夷山川地理取調図の時点で既に「赤石」と漢字で記されていたので、永田さんはどこからネタを拾ってきたのだろう……と思わないでもありませんが。
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