やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
茂辺地(もへじ)
旧・上磯町の南西部に位置する集落の名前で、同名の駅と同名の川があります。函館江差自動車道にも IC がありますが、こちらは市名を冠した「北斗茂辺地 IC」です。
上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。
茂邊地
夷語ムーベツなり。塞る川と譯す。ムーとは塞と申事。ベツは川なり。此川餲水亦は仕化の節、水口塞る故、地名になすと云ふ。
ふむふむ。鵡川にも似たような説がありましたが、mu-pet で「塞がる・川」ではないかという考え方ですね。
続いて「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。
茂辺地(もへじ)
所在地 (渡島国) 上磯郡上磯町
開 駅 昭和 5 年 10 月 25 日 (客)
起 源 アイヌ語の「モ・ペッ」(静かな川)から出たもので、茂辺地川を指したものである。
はい。mo-pet で「静かな・川」ではないかという説ですね。
また享徳年間(1452~54 年)に下国氏の築いた茂別館があったので、この地を茂別というようになり、後に「茂辺地」に改めたともいわれている。
実際に茂辺地川の近くに「茂別館」があることからも「茂辺地」が -pet 系の地名であることは間違いないだろう、と捉えられているようです(同時に青森県の「野辺地」あたりも -pet 系の地名ではないか、という話もありますね)。
永田地名解にも次のように記されていました。
Mo pechi モ ペチ 靜謐川 茂邊知(川、村)
ふむ、「茂辺地」が今の字になる前は「茂辺知」と綴っていた時期もあったのでしょうか(ただ上原熊次郎は「茂辺地」と書いていましたが)。結果的には津軽海峡の向かい側の「野辺地」と似たような字に落ち着いたのですね。
それにしても、上原熊次郎の mu-pet 説がその後顧みられていないように見えるのは、単に間違いだったということなんでしょうか。
葛登支(かっとし)
茂辺地と渡島当別の間にある岬の名前です。灯台もありますが、半島状の険しい地形ではなく、緩やかな台地が少し海に張り出しているような形の岬ですね。
山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。
葛登支 かっとうし
地名,岬名。船で函館に入ると,右に函館山,左に葛登支岬が相対して函館湾を包んでいて印象の深い岬である。
なるほど、そう言われてみれば確かに……。葛登支岬は函館湾の入口なんですね。灯台があるのはそんな理由もあってからかも知れません。
永田地名解は「アッ・ウシ(楡樹・ある処)。今カットシに誤る。昔し此山中に楡多し。故に名く。今は岬名となりたり。アツをカツと訛る例は多し」と書いた。
ちょっと手を抜いて孫引きしてみました。なるほど、「カツ&トシ」なんですね(なんか違う)。at-us-i で「オヒョウニレの樹皮・多くある・ところ」と読み解けそうです。
なお、山田さんは「かっとうし」としていますが、「角川──」(略──)には次のように記してありました。
かっとしみさき 葛登支岬 <上磯町>
「かっとうしみさき」ともいう。
なるほど。どっちも間違いでは無さそうな感じですね。
当別(とうべつ)
石狩当別についてはアイヌ語地名の傾向と対策 (61) 「篠津・蕨岱・当別」をご覧ください。
北斗市の南西端に位置する集落の名前です。道南いさりび鉄道に「渡島当別駅」があります。何ゆえに「渡島」を冠しているかについてはちょっと前の記事であれこれと書いていますので、宜しければ見てやってくださいませ。
上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。
當 別
夷語トヲウンベツなり。沼の有る川と譯す。トヲは沼の事。ウンとは生するの訓にて有と申事なり。此川の奥に沼有る故号くといふ。
ふむふむ。続けて永田地名解も見ておきましょうか。
Tō pet トー ペッ 沼川 上方ニ沼アリ故ニ名ク古地圖ニハ上流ニ沼ヲ畫ケリ
ふーむ。永田方正が「古地図には」と書いているということは、永田方正の時代には既に沼は失われていたということなんでしょうか。いずれにせよ to(-un)-pet で「沼(・ある)・川」だったと考えて良さそうな感じです。
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