やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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モセカル川
サクルー川の最上流部で合流する北支流の名前です。山向こうの南側を「モセカルシュナイ川」が流れていますが、モセカルシュナイ川とは別の川です。
もっとも、明治の頃の地形図を見ると、現在の「モセカルシュナイ川」の位置に「モセカルー」と記されているので、多少なりとも混同があったことを伺わせます。
意味するところは、これまた「モセカルシュナイ川」と同様に mose-kar で「イラクサ・刈る」だと思われます。……が、改めて知里さんの「──小辞典」や田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」を見てみると、mose を「イラクサ」とする定義の記載が無いんですよね。
田村さんの「──沙流方言辞典」によると、mosekar 自体で「草を刈る」という動詞として使われるとのこと。
慌てて知里さんの「植物編」を確かめたところ、次のように記されていました。
注 1.──オォバイラクサの莖と葉を móse とゆう。それを刈り取ること,それに限らず一般に草を刈り取ること,それをも móse と云い,あるいわ「もセカㇽ(móse-kar),さらに訛って「もㇱカㇽ」(móskar)とゆう。
ふむふむ。やはり本来は「イラクサ」という意味だったと考えて良さそうですね(ほっ)。mose-kar-us-nay だったものが -us と -nay がそれぞれ略されて「モセカル」になったと考えられそうですが、山向こうの「モセカルシュナイ川」との関係については……やはりごっちゃになってるんですかね。
オサツナイ川
国道 273 号沿いを流れる「渚滑川」本流を遡ると、「五区」と呼ばれるあたりで西から「オサツナイ川」が合流しています。戊午日誌「西部志与古都誌」には「ヲホサツナイ」という川が記載されていますが、これはサクルー川の支流として記されているので、現在の「オサツナイ川」とは無関係かもしれません。
渚滑川の支流である「オサツナイ川」については、永田地名解に次のように記載されていました。
Osat nai オサッ ナイ 川尻ノ乾ク川
はい。道内各地に存在する「オサツナイ」と全く同じと考えて良さそうです。o-sat-nay で「河口・乾いた・川」となります。河口が涸れているということは伏流しているということで、扇状地の存在が示唆されるわけですが、この「オサツナイ川」も河口に向って谷が開けていて、扇状地が形成されていると言えそうです。
クッタラ川
オサツナイ川の南支流です。支流とは言え流長はオサツナイ川(クッタラ川合流点より上流部)と大差なかったりしますが……。
永田地名解には次のように記されていました。
Kuttaru shō kot クッタル シヨー コッ 虎杖アル處ノ瀧谷
本流である「渚滑川」から見ると、クッタラ川は「支流の更に支流」にあたるので、「クッタル シヨー コッ」というのはちょっと不思議な感じもしますが、まぁ細かいことは置いといて……(ぉ)。kuttar-{so-kot} で「イタドリ・{渚滑川}」と見て良さそうですね。
あ、戊午日誌「西部志与古都誌」にも記載がありました。
またいよいよ峨々たる絶壁の間を上り行て
クツタルウシシヨコツ
右のかたに此川行よし。其名義益母草・虎杖・鍬形草等多きによつて号とかや。シヨコツは此川の惣名。
「益母草」は「やくもそう」で、メハジキの別名なのだそうです。養命酒の Web サイトにもページがあるくらいですから、生薬として広く知られた草なのかもしれませんね。
本題に戻りますと、戊午日誌には kuttar-us-{so-kot} で「イタドリ・多くある・{渚滑川}」とあります。現在に伝わるアイヌ語の地名は少なからず -un や -us が略されていると知里さんは考えていたようで、良くその旨を自著で記していましたが、この「クッタラ川」もその例のひとつだったようですね。
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