やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
アブカナイ川(アブカウシナイ川)
国道 273 号で滝上町に入ったすぐのところで渚滑川に合流する北支流の名前です。地理院地図では「アブカウシナイ川」となっていますが、一般的には「アブカナイ川」と認識されているかもしれません。
永田地名解には次のように記されていました。
Apka un nai アㇷ゚カ ウン ナイ 牡鹿川
ふむふむ。シカと言えば yuk という語彙がありますが、知里さんによると yuk はシカの総称で、apka はより具体的に「4 歳の雄」(美幌での場合)あるいは「5 歳以上の雄」(足寄の場合)のシカを意味するそうです。
ということで、「アブカナイ川」は apka-un-nay で「オス鹿・いる・川」なのだと言うのですが……個人的にはちょっと引っかかるものを感じます。というのも、「4 歳以上のオス鹿」がいる川には「メス鹿」や「子鹿」はいなかったの? という疑問が湧いてきますよね。
もちろん、そう遠くない昔に「4 歳以上のオス鹿」が単独で出没した、と言った故事があったのかもしれませんし、その手のストーリーがあった可能性は十分に考えられます。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」に「アツカンナイ」と書いてあるのを見て、これだと違う解釈もできてしまうなぁ、と思ってしまいまして。
もし at-kan-nay であれば「オヒョウの樹皮・採る・川」と読めます(kan は kar の音韻変化)。オヒョウの樹皮から紡いだ織物はアイヌの織物の中でも高級品として珍重されたので、オヒョウの樹皮の採取地が和人に下手に荒らされることが無いように、インフォーマントがデタラメな解を永田方正に教えた……とかだったら面白いですよね。
メナシベツ川
滝上町滝下(自己言及のパラドックスみたいですね)で渚滑川に合流する南支流の名前です。menas-pet で「東・川」なんでしょうけど、手持ちの資料には全く出てこないなぁ……と思って困ってました。ところが……
メナシベツ川
渚滑川南支流,滝下駅の対岸に川口あり。川筋の字名はメナシという。メナシ・ペッ(東・川)だったらしいが,何の東なのかはっきりしない。
おっと。山田秀三さんの「北海道の地名」に思いっきり記載がありました。そうなんですよね、一体何の東だったんでしょう……?
そして、「アブカナイ川」が at-kan-nay かもしれない、ということも「北海道の地名」にバッチリ記されていました。やはりそう考えたくなりますよね。
オシラネップ川
滝上町濁川の東側で渚滑川に合流する南支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲシラン子」という川の存在が記されていますが、「アツカンナイ」(アブカナイ川)より下流側で渚滑川と合流するように描かれています。もしかしたら「タツシ」こと「立牛川」との混同があったのかもしれません。
戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。
ヲシラン子フ
川の二股に出たり。然る処此辺鹿多きよしにて其足跡川の辺に此方彼方え附て、爰え来りしや至極足場よろしかる也。其川巾は七八間にて左りの方え入る中川也。是此シヨコツ第二の支流のよし。其名義は川口に大岩峨々と聳え有ると云儀のよし也。
なるほど、o-shiran-ne-p(shiran は shirar の音韻変化)で「河口・岩・のようである・もの(川)」と読めそうですね。
山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
オシラネップ川
渚滑川の南大支流。滝上市街から始まる岩川の末端の処に入っている川。オシランネプ「o-shirar-ne-p 川尻が・岩・である・もの(川)」であったろう。
なるほど、ne を「である」と断定調に解釈してもいいのかもしれませんね。ということで o-shiran-ne-p で「河口・岩・である・もの(川)」としておきましょう。
(2018/12/2 追記)o-sir-ane-p で「河口・大地・とがっている・もの」とも読めたりしないかな、と気が付きました。オシラネップ川が渚滑川と合流するところが尖っているようにも見えるので、そう解釈できたりしないかなぁ、と。
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