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アイヌ語地名の傾向と対策 (726) 「トーマル川・ヤエダウス橋」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トーマル川

to-oma-an-rur??
沼・そこにある・向こう側の・海

 

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

古平町と神恵内村の間は道道 998 号「古平神恵内線」で結ばれています。この道路はなぜか番号が大きくて変だなぁ……と思っていたのですが、以前は国道 229 号だったとのこと。国道のルートが積丹町経由に変更されたタイミングで、道道に変更されたのだそうです。

国道 229 号が積丹町経由になったのが 1982 年ですが、当時は未開通区間が残っていました。積丹町経由で全通したのが 1996 年なのだそうです。


本題に戻りますが、道道 998 号「古平神恵内線」は「当丸山」の北側を「トーマル峠」で越えています。「当丸山」の西には「当丸沼」があり、そこから「トーマル川」が流れています。道道 998 号には「当丸橋」もあるので、あとはトンネルがあればグランドスラムっぽい感じでしょうか(何が)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウヲマルヽ」という川が描かれていました。また「西蝦夷日誌」には「トヽヲマルヽ」という川の名前が記されています。「竹四郎廻浦日記」でも次のように記されていました。

 扨川筋少し上りて ホロヘツ、此処運上屋の呑水を取りて来る処也。左りの方小沢也。並びて五六丁も上りて トヽヲマルヽ、又七八丁上りて バンゲベツ、並びて トハラマイ、此辺まで平地、是より追々岩川に成、両山蹙り来り候由。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.374 より引用)

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

 永田地名解は,トンマル(tonmaru 沼より下る川)と書いているが,何だか変な解である。トー・オマ・ル(to-oma-ru 沼・に入る・道)だったのではなかろうか。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.478 より引用)

はい、こう考えるのが自然だと思います。ただ松浦武四郎の記録は「──ヲマル」ではなく「──ヲマルル」で統一されているのが気になるのですね。これなんですが、to-oma-ru ではなく to-oma-an-rur で「沼・そこにある・向こう側の・海」と解釈できないでしょうか。これだと「トーマンルル」となり、永田地名解の「トンマル」という記録とも少しだけ似た感じになります。

an-rur は厚沢部の「安野呂」のように、「反対側の・海」と読み解くことができます。古平側のアイヌが「沼がある向こう側の海側」と呼んだ……と考えられそうな気がするのです。

ヤエダウス橋

yaetaye-us-i???
網を引く・いつもする・ところ

 

(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

道道 998 号でトーマル川沿いを下ると、やがて古宇川と合流します。最近、営業終了が伝えられた「温泉 998」の前を通過して更に海側に向かうと、道道 998 号は「ヤエダウス橋」で古宇川を渡ります。

この「ヤエダウス」ですが、手元で確認できる古い資料には記載が見当たらず、もしかしたらアイヌ語由来では無い可能性もあります。ただ、アイヌ語で明瞭に解釈できそうなのも事実です。

yaetaye で「網を引く」「網を引いて魚をとる」という語彙があります。ya が「網」で etaye は「引く」です(「恵岱別」などでおなじみですね)。yaetaye-us-i であれば「網を引く・いつもする・ところ」と解釈できそうです。

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