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アイヌ語地名の傾向と対策 (766) 「遠幌加別川・オラシナイ沢川・パンケモユーパロ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

遠幌加別川(えんほろかべつ──)

wen-horka-pet
悪い・U ターンする・川

 

(典拠あり、類型あり)

かつて夕張市清水沢から夕張川に沿って東に向かう「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」という鉄道路線がありました。現在も南大夕張駅があったあたりに当時の車輌が保存されているため、ご覧になった方も多くいらっしゃるかもしれません。

三菱大夕張線の清水沢駅と南大夕張駅の間には「遠幌駅」がありました。かつては「夕張市遠幌」という地名だったようで、現在も「夕張市南部遠幌町」という形で健在です。

遠幌駅は「遠幌加別川」のすぐ近くにありました。「遠幌」という地名は「遠幌加別」の後ろ 2 文字を省略した形だったのでしょうね。

丁巳日誌「由宇発利日誌」には「ベンケホロカユウハリ」という川が記録されていて、頭注に「遠幌加別」とあります。「由宇発利日誌」は「ハンケホロカユウハリ」と「ベンケホロカユウハリ」が続けて記録されていて、「ハンケホロカユウハリ」は現在の「志幌加別川」だと考えられます。

ウエンホロカペッ

一方で、明治時代の地形図では「シーホロカペッ」と「ウエンホロカペッ」となっており、現在の名前に近くなっています。NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 宇遠幌加別川(うえんほろかべつがわ)遠幌で夕張川に合する小支流。アイヌ語の「ウェン・ホㇽカ・ペッ」で悪い後戻り川の意で,鉱泉が湧き出て水がにごって水ののめない川であることに名付けたかと思う。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.220 より引用)

「遠幌加別」が略されて「遠幌」になったと思われるのですが、更に遡ると「宇遠幌加別」だった可能性もあるのですね。ただ、戦前の陸軍図には「遠幌加別川」とあり、「遠」に「ウエン」とのルビが振られていました。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにありました。

遠幌加別川 えんほろかべつがわ
遠幌 えんほろ
 夕張川を志幌加別川川口から約 1 キロ上った処に,北から遠幌加別川が注いでいる。ウェン・ホロカ・ペッ(wen-horka-pet 悪い・後戻りする・川)の意。何で悪かったのかは全く忘れられた。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.64 より引用)

とりあえず wen-horka-pet で「悪い・U ターンする・川」なのは確定と考えて良さそうでしょうか。何が悪かったかについては山田さんは断定を避けていますが、「北海道地名誌」の説(おそらく更科さんの文章でしょう)が正しい可能性も十分ありそうに思えます。

オラシナイ沢川

o-rap-us-nay??
河口・両翼を張ったように突出ている出先・ついている・川

 

(?? = 典拠なし、類型あり)

夕張シューパロダムのすぐ西側で夕張川に合流する北支流の名前です。古い地図や手元の資料には全く手がかりが見当たらないので推測で進めるしかないのですが、o-rap-us-nay で「河口・両翼を張ったように突出ている出先・ついている・川」と読めそうな気がします。

もともとオラシナイ沢川の東には「大夕張ダム」がありました。2015 年に、その下流側に「夕張シューパロダム」が建設され、大夕張ダム自体がダム湖に水没してしまいました。

改めて地形図を見てみると、夕張シューパロダムの南北にはどちらも長い尾根が伸びていることがわかります。この尾根を下流側から見ると rap(翼、転じて両翼を張ったように突き出ている出先)と認識された、ということでは無いでしょうか。

おまけ

もう一つ、明治時代の地形図によると、オラシナイ沢川が夕張川に注ぐあたりで、夕張川の流れが左右二手に分かれていたことがあったようです。オラシナイ沢川が夕張川に注ぐあたりに巨大な「中洲」があったことになるので、o-sir-un-nay で「河口・島・ある・川」だった……と考えたこともありました。

この説の致命的な欠陥は「オラシナイ沢川」ではなく「オシラナイ沢川」でないといけない……ということで、「オラシナイ」にそれらしい解釈が存在する時点で、この説はちょっと無いかなぁー、と感じているところです。

パンケモユーパロ川

panke-mo-{yuparo}
川下側の・支流・{夕張川}

 

(典拠あり、類型あり)

夕張シューパロダムによって形成された「シューパロ湖」は、ダムの東側に南北に長く伸びています。夕張川とパンケモユーパロ川(パンケモウユウパロ川)が合流したところにダムが建設されたため、ダム湖は南北両方に伸びることになりました。

丁巳日誌「由宇発利日誌」には次のように記されていました。

     ヘ タ ヌ
此処二股に成り居り川の正面丸き大岳有。其両方に別れ居り、右の方に入るを
     モユウハリ
と云。此河源はサルフツ、ムカワの方に行、シツナイのシヒチヤリえ近しと。コトンリウは行し事有るよし。又左り本川通り、モユウハリの方より少しひろし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.232 より引用)

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、現在の「パンケモユーパロ川」に相当する位置に「モユウハリ」と描かれていました。panke-mo-{yuparo} で「川下側の・支流・{夕張川}」と読めますが、panke- がついているのは上流側に「ペンケモユーパロ川」があるから、ということと思われます。

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