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アイヌ語地名の傾向と対策 (823) 「ナフポロナイ川・オチフネ川・ニセカオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ナフポロナイ川

nup-oro-oma-nay??
原野・の所・そこに入る・川
(?? = 典拠なし、類型あり)

「幌内北上」のあたりから東に向かって流れて、幌内川の河口近くで合流する北支流の名前です。地理院地図には残念なことに「ナフポロナイ川」という名前は記されていません。

明治時代の地形図には「ヌプポロオマナイ」という名前で描かれていました。どうやら「東西蝦夷山川地理取調図」に「ヌホロマイ」という名前で描かれている川と同一と見て良さそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Nup poro oma nai  ヌプ ポロ オマ ナイ  大野川

ということで、nup-poro-oma-nay で「原野・大きな・そこに入る・川」と考えたようですが……それだと poro-nup-oma-nay でもいいんじゃないか、というか寧ろそうでないとおかしいような気もしてきました。

永田地名解の解釈を少しアレンジして、nup-oro-oma-nay で「原野・の所・そこに入る・川」とするのが良さそうでしょうか。-nay-i に変えると nup-oro-oma-i で「原野・の所・そこに入る・もの(川)」になり、「東西蝦夷──」に描かれている「ヌホロマイ」とほぼイコールになりますね。

オチフネ川

o-chip-ni-san?
そこで・舟・木・下る
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

河口から幌内川を遡ると「幌内ダム」がありますが、「オチフネ川」はその更に上流側で西(北)から合流しています。オチフネ川の南支流に「ポンオチフネ川」があるほか、オチフネ川の北には「落船山」も聳えています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲチヒ子サン」という名前の川が描かれていました。「竹四郎廻浦日記」にも「ヲチヒ子サン」という名前の川が記録されているほか、明治時代の地形図にも「オチプ子サン」と描かれていました。

和名の可能性も考えたくなりますが、永田地名解には次のように記されていました。

O chipne san  オ チㇷ゚ネ サン  舟ヲ下ス處 古ヘ舟ヲ作リテ此川ヨリ下ス處ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.451 より引用)

あ。「オチフネ」の「チフ」は chip(舟)と考えられそうですね。そして「サン」は san で「下る」だと考えられます。ne が若干謎ですが、chip-ni で「舟・木」あるいは「{舟材}」と考えられるかと思われます。

net で「流木」あるいは「漂木」という語彙もあるのですが、net はどちらかと言えば焚き木に使うような「枝」レベルのものが多いと思うので、丸木舟の原材料になりそうなものは滅多に無いのではないかな、と思われます。


o-chip-ni-san で「そこで・舟・木・下る」だと考えてみたのですが、これが「落船さん」になるというのは良くできた偶然ですよね。

ニセカオマナイ川

nisey-ka-oma-nay?
断崖・上・そこに入る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

「オチフネ川」が幌内川に合流する地点から、幌内川を更に遡ると、雄武町上幌内の少し手前(北側)で「ニセカオマナイ川」が北西から合流しています。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川を確認できませんでした。明治時代の地形図には「オペカ」という謎の地名?が描かれていました。o-pet-ka-us-i であれば「河口・川・岸・つけている・もの」で、知里さんの「──小辞典」では「川岸が高い岡になって続いているところ」とあります。

永田地名解では次のように記されていました。

O nisei ika oma nai  オ ニセ イカ オマ ナイ  絶崖ノ上ヨリ瀧トナリテ落ル川 此処マデ舟行スベシ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.451 より引用)

割と尤もらしい解にも思えますが、nisey(断崖)を ika(越える)というのは記憶にありません。もっと素直に nisey-ka-oma-nay で「断崖・上・そこに入る・川」で良いのではないかと思います。

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