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紀勢本線各駅停車 (5) 「初島・箕島」

下津駅を出発して、500 m ほどのトンネルを抜けると……

有田ありだ市に入りました。これはまた……。異国情緒漂う……じゃなくて何でしたっけ。あ、異世界感溢れる……とかですかね?(それも何か違うような

ここも ENEOS の製油所だそうですが、石油プラントって存在そのものが SF チックで、非現実的な存在にすら思えますよね。ただ……

構内道路には「徐行」と「とまれ」の文字が。生活感があると言うか、一瞬で現実に引き戻される感がありますね。

海辺の農村も今は昔

このあたりは「新田」という地名だったらしく、戦前の地形図(陸軍図)では水田として描かれていました。水田が石油プラントに変わり、岬の西側の海は埋め立てられて巨大な石油タンクが並んでいます。

線路の横にスロープのような道路が見えてきました。これも製油所関係かと思ったのですが、特に製油所関係というわけでもなく、国道 42 号に向かうバイパス道路(市道?)だったようです。

製油所の隣は市街地になっていました。いきなり「普通の市街地」に早変わりですね。

踏切の先には「吉田」という建物が見えます。

この建物は売物件のようですが、Google マップにも「吉田」とだけあって、なかなかミステリアスな感じです(個人商店だったのだと思いますが)。

初島

初島駅が近づいてきました。ここまでありそうで無かった島式ホーム 1 面 2 線の駅です。

初島駅の開駅は 1938 年で、まずは「簡易停車場」として設置されたとのこと(冷水浦駅と開業日が同じだそうです)。下り線の向こう側(西側)に空き地が見えますが、ここにも製油所の専用側線が敷設されていたようで、製油所関連の貨物扱いを開始した 1942 年に駅に昇格した……みたいです。

今は貨物関連の設備が全て取り払われているので、ちらっと見た感じでは比較的最近に設置された住宅街の中の駅……といった雰囲気ですが、実際には 80 年以上の歴史のある駅……ということになりますね。

ホームのベンチは流行の?クロスシート型配置です。この配置だと向き合って座ることができますが、間隔は十分に離れているので足がぶつかることもありませんし、またホームを移動する人がベンチに座った人の前を通ることもありません(横を通るので)。

デメリットは点字ブロックとベンチの間の幅を広く取れないところですが、ベンチに座った人がだらーんと足を伸ばしていたとしても通行の妨げにならないメリットのほうが大きい……と言うことなんでしょうね。

箕島駅

初島駅を出発すると、列車は緩やかに左にカーブしつつ、途中で 2 本のトンネルを抜けます。カーブを抜けるとすぐに箕島駅です。

箕島駅も 2 面 3 線の「国鉄型配線」ですが、それに加えて貨物用だったと思しき線路も残っています。手前に見えている線路が「国鉄型配線」の肝とも言える上下線共用の待避線で、奥に見えている下り線から分岐しているのが貨物用だったと思しき線路です。

ホームの長さは十分すぎるほどあったようで、現在使用されていない区画は嵩上げされずにそのままになっていました。注目すべきは駅名標の影の向きで、初島駅の駅名標とは随分と向きが異なっていることがわかります。

駅の手前の左カーブが相当長かった……ということになるのですが、かつては更に急なカーブを描いていたようです。おそらく複線化工事の際に旧線を放棄して、カーブが緩やかで距離も短いトンネル経由に改めた……ということのように思えます。

ようこそ有田市

箕島駅は特急「くろしお」の約半数が停車するということもあり、駅舎もなかなか立派なものが健在です。

駅名は「箕島」ですが、駅のすぐ近くに有田市役所がある「市の代表駅」です。「有田ありだみかん」が有名で、「有田ありた焼」とは何の関係もないことをアピールすべく、「ようこそ」「和歌山へ」「有田市へ」の文字と果物のイラストが並びます。左のイラストが「みかん」だと思うのですが、では右のイラストは……?

「ようこそ」の文字の多さが印象的な箕島駅を後にします。箕島駅業務委託駅無人ではないのも良い雰囲気を保てる大きな要因の一つでしょうか。公共交通の「合理化」で失われるものって、見えにくいところに潜んでいますよね。

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