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紀勢本線各駅停車 (4) 「加茂郷・下津」

御坊行き 341M は冷水浦しみずうら駅を出発しました。海南駅の西、冷水浦駅の北の海は古くは「黒江湾」と呼ばれていましたが、今では湾を埋め尽くしそうな勢いで埋立地が広がっています。埋立地には製鉄所、火力発電所、石油精製工場などが立地しています。

埋立地は主に湾の北側から東側に広がっていて、冷水浦駅のある南側の海は意外と手つかずのままのようです。

製鉄所と発電所のある埋立地の西隣には人工島があり、「和歌山マリーナシティ」としてリゾートホテルや遊園地(ポルトヨーロッパ)などが立地しています。発電所があるのは海南市で、「和歌山マリーナシティ」のある人工島は和歌山市です。

この「和歌山マリーナシティ」はどうしても「バブルの残滓」のように感じられてしまうのですが、Wikipedia によると「1994 年(平成 6 年)に開催された世界リゾート博に合わせ、松下興産(当時)によって作られた」とあります。どうやらホンマもんの「バブルの残滓」だったようですね……(汗)。

塩津漁港

特急「くろしお」とすれ違います。「くろしお」は 1 時間に 1 本のペースで走っているので、あと何回すれ違うことになるでしょうか。

眼前に和歌浦湾が広がります。海の向こうに陸地が見えていますが、あれは淡路島でしょうか。

短いトンネルを 3 つほど抜けると、今度は漁港が見えてきました。旧・下津しもつ町(現在は海南市)の「塩津漁港」のようです。つい先程までは「石油コンビナートの海」だったのが、僅か数分で「漁港の海」に早変わりです。

これまでのトンネルよりはちょっと長い(と言っても 500 m 弱くらいですが)トンネルを抜けると……随分と下り線と離れてしまいました。このあたりは 1967 年に複線化が行われていますが、下り線を線増する際に、曲線を緩和するとともに距離が短くなるルートを選んだようです。

加茂郷駅

上下線の間隔が元通りになると、間もなく「加茂郷駅」です。保線用車輌が見えますね。

加茂郷駅は、2 面 3 線の典型的な「国鉄型配線」の駅です。この手の配線の駅は、2 番線を上下線の待避線として使用できるのですが、現在は待避線としての通常運用は無いとのこと。

駅名標の横には「名所案内」も建てられています。「紀伊国屋文左衛門船出の地」があるんですね(地理院地図にも出ていますね)。

旧・下津町には「加茂郷駅」と「下津駅」の 2 駅が存在しますが、加茂郷駅のほうが街の中心に近いために利用客も多いとのこと。

下津町の市街地自体が「加茂郷駅周辺」と「下津駅周辺」に二分されているようにも見えますが、元々は下津駅のあたりの「濱中村」(町制後は「下津町」)と海側の「大崎村」、漁港のある「塩津村」と阪和道の「下津 IC」のあるあたりの「加茂村」、そして加茂村の東に位置する「仁義村」が合併して改めて「下津町」が成立したそうで、陸軍図を見ると加茂郷駅の周辺はそれほど栄えていたようには見えません。

ただ下津駅が「濱中村」の最寄り駅だったのに対し、「大崎村」「塩津村」「加茂村」「仁義村」は加茂郷駅のほうが近かったこともあってか、いつの間にか加茂郷駅周辺の発展スピードが下津駅周辺のそれを上回った、ということのようですね。
てっきり下津町の「商業の中心」と「漁業の中心」が分かれていたのかと思ったのですが、そう単純な話でも無かったようです(加茂郷は駅がなければここまで発展できなかったかも)。

下津駅

加茂郷駅を出発した御坊行き 341M は、一旦南に方向を変えたあと、再び緩やかな右カーブを抜けて西に向かいます。踏切脇の歩道橋をくぐり抜けると……

下り線の向こう側に草生した空き地が見えてきました。そろそろ駅構内でしょうか。

いつの間にか空き地は姿を消し、宅地に姿を変えていました。もしかして先程の空き地の跡は専用線の跡かな……と思ったのですが、下津駅に近くの精油所で生産された石油類の出荷設備があったとのこと。その跡の一部を宅地として分譲したっぽい感じですね。

下津駅は 2 線 2 面の相対式ホームですが、上下線の間に中線があったようです。ホームの無い中線には石油類を輸送するためのタンク車が停まっていたのでしょうね。

下津駅の駅舎は、跨線橋の向こうの下り線側にあります。下津駅で IC カードが利用できるようになったのは 2020 年からとのことで、2016 年時点では「昔ながらの改札口」が健在でした。

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