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北海道のアイヌ語地名 (988) 「プイラクニ・奔丹達」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

イラク

nikuri-apa??
林・戸口
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

弟子屈町南部、南弟子屈駅(跡)の南の釧路川西岸の地名(住所)です。郵便番号の設定はありませんが、運輸局住所コードには「プイラクニ」と「プライクニ」の設定があります(地理院地図では「弟子屈町字熊牛原野」)。

明治時代の地形図には「プイラクニ」という川が描かれていました。地理院地図では「町営牧場」と記されているあたりを流れ、最終的には標茶町の「人見無川」に合流する「左俣川」のことだと思われるのですが、「プイラクニ」は「人見無川」ではなく直接「釧路川」に注ぐように描かれているという大きな違いがあります。

「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があり、その存在に気づかなかったのかもしれません。「南弟子屈橋」の南で釧路川に合流する支流が「プイラクニ」と認識されていた可能性も出てきます。

謎の「プイラクニ」

「プイラクニ」を素直に解釈すると……「プイラ」は puyra で「激湍」でしょうか。ただ、このあたりの釧路川は幅広の谷の中を蛇行するような状態なので、果たして puyra があったかと言うと疑わしく思えてきます。

puy で「穴」という可能性はどうでしょうか。puy-rake-un-i で「穴・低い所・ある・ところ」とすれば一応筋は通りそうな気もします。伏流した川がところどころで穴を開けていた、あたりの可能性が考えられるでしょうか。

puy には「穴」以外にも「エゾノリュウキンカの根」という意味もあります(地名に出てくる puy は寧ろこの解釈のほうが多いような)。puy-rak-ni で「エゾノリュウキンカの根・っぽい・木」と解釈できたりしないか……と考えてみたのですが、これは流石に無理がありますかね。

もしかして「ニクライプ」では?

最後に……実はこれが本命じゃないかと思っているのですが……「プイラクニ」が禁断の左右逆転地名だとしたらどうでしょう。「ニクライプ」であれば nikuri-apa で「林・戸口」と読めるかもしれない……と。

前述の通り、「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があります。鞍部の東西には丘が広がっていて、釧路川から見ると東側(手前側)の丘が上流側の眺望を遮る衝立のようになっていた……んじゃないかと思うのですね。

下流から上流部(あるいはその逆)を見渡すのを遮る地形がある場合に、それを apaで「戸」あるいは「戸口」「入口」と呼ぶケースがちょくちょくあると思っています。たとえば道北の中川郡中川町を流れる「安平志内あべしない川」も apa-us-nay で「戸口・ついている・川」じゃないかなぁ、と……。

奔丹達(ぽんたんだつ)

pon-nitat???
小さな・湿地
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

弟子屈町南部、国道 391 号と「コムケップ川」の間の山地にある二等三角点の名前です(標高 159.5 m)。「奔丹達」には「ぽんたんだつ」とルビが振られていますが、本当にそうなのかな……と疑いたくなりますよね。

「丹」は「に」と読む場合もあるので(「丹羽にわ氏」なんかそうですよね)、その場合「奔丹達」は「ぽんにたつ」となり、pon-nitat で「小さな・湿地」ある可能性が出てきます。

陸軍図を眺めてみると、鉄道の西側にちょうどお誂え向きのサイズの湿地が描かれています。また戊午日誌「東部久須利誌」には「アタツヘツ」という地名が記録されているのですが、残念ながら今回はここで手詰まりのようです。

1917 年(大正六年)に選点された際に「奔丹達」と命名され、その後「読み方不明」ということで慌ててそれらしいルビを振ったのではないかと思われるのですが……。

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