やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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分遣瀬(わかちゃらせ)
「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい地名は見当たりません。「改正北海道全図」(1887) にも記入がありませんが、「北海道地形図」(1896) には「ワㇰカチャラセ」と描かれています。陸軍図にもカタカナで「ワカチャラセ」と描かれています。
加賀家文書の「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。
ベチャラセ ヘツ・チャラセ 川・早ひ
小さひ滝川有るを斯名附由。
「初航蝦夷日誌」(1850) には「マチヤラセ」とあり、「東蝦夷日誌」(1863-1867) には「ヘチヤラセエト(小岬)」とあります。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。
Pecharase ペチヤラセ 瀧
相変わらずざっくりした解が記されていますが、pe-charse で「水・すべり落ちている」と言ったところでしょうか。charse は「細い滝をなして滑り落ちている」という意味なので、わざわざ pe(水)を冠したのは何故だろう……という疑問も出てくるのですが……。
「釧路町史」には次のように記されていました。
蝦夷地名解では、ペチャラセ(滝)と解いているが、明治三〇年の五万分の一図には、ワッカチャラセとしている。
ということで、やはり「ペチャラセ」=「ワッカチャラセ」と見て良さそうです。
pe と wakka
どこかのタイミング(おそらく明治中期)で pe が wakka が化けたことになりそうですが、そもそも pe と wakka は完全互換なのか、それとも……? という疑問が出てきます。
アイヌ語地名解では、ペもワッカも「水」である。
pe も wakka も「水」を意味するというのはその通りで、pe は単なる水で wakka は「飲水」だ、という説を聞いたことがあります。ジョン・バチェラーの「蝦和英三對辭書」(1889) には pe は "Water, principally undrinkable water." と記されていました。
「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) には pe は「水分」や「水気」、「しずく」などを意味するとし、wakka が「物質としての水」を指す……とあります。ただ wakka は「飲用でないものも含む」とあるため、必ずしも wakka=「飲水」では限らない……ということになりそうですね。
また「アイヌ語千歳方言辞典」(1995) によると「ワッカは水一般および飲料水を指すが、ペ pe は飲料水として認められないような液体を指す場合が多い」とあります。これはバチェラーの辞書とほぼ同じ解釈のように思えます。
なんとなく pe と wakka の違いが薄っすらと見えてきた感がありますが、若干もやもやした感じも残るような……。知里さんの「地名アイヌ語小辞典」(1956) には次のように記されていました。
──pe は多く合成語の中で用いられ,単独で水と言うときは wakka(H). waxka(K)がふつうに用いられる。
ふむふむ。まだ続きがありまして……
wakka-ke-p(「水を・かく・もの」「舟のアカをかき出す道具」),wakka-ta-ru(水を・くむ・路)なども古くは pe-ke-p, pe-ta-ru と言った。
あー! そう、pe-ta-ru で「水・汲む・路」という地名を見たことがあったので、「pe は飲料水として認められないような液体を指す場合が多い」とは言えないよなぁ……と思っていたのですね。なるほど、飲水を pe と表現するのは比較的古い表現だったのかもしれませんね。
閑話休題
「釧路町史」に戻りますが、「ワカチャラセ(分
チャラセ(小川が山の斜面を急流をなして、飛沫をなしてすべり落ちる)で、飲水が散らばり落ちると解する。昔は人家が七〜八戸あって滝水を飲料水としていたが、今は人家が滝の上にある。
「分遣瀬」は wakka-charse で「水・細い滝をなしてすべり落ちている」だと考えられるのですが、わざわざ wakka- を冠したのは「飲水」を意味した……と見て良さそうですね。
賤夫向(せきねっぷ)
「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「セフヌンケフ」と描かれています。「北海道地形図」(1896) には記入がありませんが、陸軍図にはカタカナで「セキネップ」と描かれていました。
「魚の川下りのように石が落ちるところ」説
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Chep nurungep チェプ ヌルンゲㇷ゚ 石墜ル處 直譯魚下ル處小石ノ崩レ墜ルコト魚ノ川ヲ下ルガ如シ故ニ名ク
「釧路町史」には次のように記されていました(「昆布森沿岸の地名考」が元ネタかもしれません)。
セキネップ(賎夫向) 樹木の少ない山で、石落ちるところ
この地名は全道でもめずらしい。蝦夷地名解では、チエプヌルンケプ(小石ノ崩レ落チルコト魚ノ川ヲ下ルガ如シ故ニ名ク)ケプネ(禿山)ネップ(剣)と表記されている。断崖の下とも解せるが難しい。
改めて永田地名解を見てみると、確かに「チェプ ヌルンゲㇷ゚」の次に「ケプネ」とあり、「禿山」との解がついています。「ネップ(剣)」については所在不明なのですが、どこから引っ張ってきたのでしょう……?
「広く崩れたもの」説
「午手控」(1858) には次のように記されていました。
セフヌンケフ
此辺木少しも無処よく撰ミしと云儀也。ヌンケは撰むと云事
ケフ子
木の無処也。兀 頭の如しと云
「ケフ子」については頭注に「
kep は「かじる」で ne は「~のような」だと思ったのですが、よく考えたら文法的におかしいですね。kep は不完動詞の「かじる」ではなく名詞の「
加賀家文書「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。
セフノヽンケフ セフ・ヌノンケフ 広く・崩た
先年永雨にて山崩れしを名附よし。
あー! ようやくストンと腑に落ちる解が出てきました。sep-nanke-p であれば「広い・削る・もの(ところ)」となります。実際に賤夫向のあたりの海岸は派手に崩れた崖になっていて、加賀伝蔵が「広く・崩れた」と書いたとおりの地形っぽいんですよね。
「ノヽンケフ」あるいは「ヌノンケフ」と nanke-p には看過できない違いがあるようにも思えますが、「午手控」が記録している「セフヌンケフ」が sep-nanke-p だと考えれば良さそうでしょうか。また「セフ・ヌノンケフ」ではなく {sep-no}-nanke-p で「{広く}・崩れた・もの(ところ)」だと考えることもできそうな気がします。
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