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「日本奥地紀行」を読む (161) 矢立峠(大館市)~碇ヶ関(平川市) (1878/7/31(火))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十八信」(初版では「第三十三信」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

水の力

小雨が降る中、矢立峠を強行突破したイザベラ一行でしたが、ついにイザベラの強運も尽きたか、またしても雨が激しく降り始めてしまいます。

私は何週間も雨に降られていたので、はじめのうちはあまり気にもしなかったが、まもなく眼前に変化が起こり、私の注意はそれにひきつけられた。いたるところに烈しい水音が聞こえ、大きな木が辷り落ち、他の木もまきぞえをくって倒れた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行平凡社 p.304 より引用)

雨が降るからには水量も増大するのは当然の理ですが、「大きな木がすべり落ち」というのは穏やかではありませんね。しかも……

地震のときのように音を轟かせながら山腹が崩れ、山半分が、その気高い杉の森とともに、前に突き出し、樹木は、その生えている地面とともに、まっさかさまに落ちて行き、川の流れを変えた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.304 より引用)

どこからどう見ても、単なる長雨ではなく「土砂災害」ですよねこれ……。イザベラが「すばらしい道路である」と絶賛していた矢立峠の峠道も……

現実に私の眼の前で、この新しい道路が急に現われた奔流のために崩れ去り、あるいは数カ所で崖崩れのために埋まった。少し下方では、一瞬のうちに百ヤードも道路が消えてしまい、それとともにりっぱな橋が流され、下の方の奔流に横になって倒れたままになっていた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.305 より引用)

良く整備された道路がほんの僅かな間に崩壊するというのは衝撃的ですが、イザベラはこの状況をどう乗り越えたのでしょう……?

困難増す

不思議なことに、イザベラは矢立峠から先に進むことができていたようで……

 山を下って行くと、事態はさらに悪化し、山崩れが滝のように樹木や丸太、岩石を押し流していた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行平凡社 p.305 より引用)

少なくとも「山を下る」ことはできた、ということですね。イザベラ一行は偶然にも大館に向かっていた駄馬とその馬子に出会い、荷物と情報を交換します。

彼らは、もし急げば彼らが出てきた村へなんとか行きつくことができるだろう、と語った。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.305 より引用)

「彼ら(馬子)が出てきた村」の詳細は不明ですが、この先の文脈を考えると「いかりヶ関」(平川市)でしょうか?

しかし話をしているうちに、下の橋が流れてしまった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.305 より引用)

カタストロフィですね……。能代から大館への移動(舟行)も相当危険なものでしたが、今回も負けてないような……?

イザベラ、鞍上に固定される

碇ヶ関?からやってきた馬子は、イザベラの身を案じ、イザベラを鞍上に固定することを強く勧めます。

彼らは、私を荷鞍にしっかり結びつけてあげよう、と言ってきかなかった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.305 より引用)

これはイザベラが落馬しないように……ということだと思われるのですが、時岡敬子さんは少し違ったニュアンスで訳出されていました。

馬子は荷鞍に乗れとわたしをき立てました。

ちなみに原文では次のようになっていて……

They insisted on lashing me to the pack-saddle.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

今回は、高梨謙吉さんの訳のほうがリアルな感じがしますね。lash ではなく rush であれば、時岡さんの訳でバッチリなのかもしれませんが。

あの大きな谷川は、前にはその美しさを賞賛したのだったが、今ではもう恐ろしいものとなり、浅瀬がないところを四度も歩いて渡らねばならなかった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.305 より引用)

何事もままならないのが人生ですが、今回の「天国?から地獄へ」の切り替わりの速さはこれまでの中でもトップレベルのような……。

イザベラ一行は、降り注いだ豪雨が滝のように流れ、山の斜面を樹木が滑り落ちてくる異常事態の中で山を下り……

最後に渡った川では、流れが強くて、男たちも馬も力の限りをつくした。私は馬に結びつけられていたから動きがとれず、実は眼を閉じて観念していた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306 より引用)

あー、やはりイザベラは馬に固定されていたんですね。それにしても、あのイザベラが「目を閉じて観念する」というのは、やはり相当に危険な状況だったと言わざるを得ないような……。

イザベラ、ようやく固定を解除される

峠を越えたところで天候が急変したため、いずれにせよ山を下りるという選択肢しか無かったイザベラ一行ですが、青森側の馬子と偶然コンタクトが取れたというのは、やはりイザベラの強運のなせる業だったのでしょうか。結果的に、イザベラは峠から北に進むことに成功しているように見えます。

そこをやっと通り越すと、この村のある土地にやってきた。水田は土手が破れ、他の作物を耕作している美しい畑は、うねあぜもすべて跡形もなくなっていた。水量が増してきたから急がなければならない、と男たちは言った。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306 より引用)

田畑のあるところまで戻ってきた(イザベラにしてみれば「進んだ」)ということになりますね。

彼らは、私を結んでいる綱をとき、もっと気持ちよく馬に乗っていられるようにしてくれた。彼らは馬に話しかけ、駆け足で進んだ。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306 より引用)

落馬防止のために綱で固定されていたイザベラですが、ここでようやく自由な姿勢で乗馬できるようになったようです。イザベラの馬の馬沓は渡河で傷んでしまい、馬は痛みと疲労でヨレヨレの状態だったようです。

突然、馬上のイザベラに異変が起こります。

雨は滝のように降ってきたので、ひょっとして鞍から私が押し流されたらどうなるだろうかと考えていたとき、突然眼の前に火花がどっと散って、言語に絶したものを感じた。私は息がつまり、打撲傷を受けていた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306 より引用)

一体イザベラの身に何が起こったのか、という話ですが……

やがて私は三人の男たちによって溝から救い出された。そこでようやく知ったのだが、馬が険しい坂を下りるときに転んでしまい、私は馬の前に飛ばされたのだった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306 より引用)

イザベラの馬が下り坂で転倒し、イザベラは前方に投げ出されてしまった……ということのようでした。ここまでの旅でイザベラが落馬したことはあったでしょうか(気性の激しい馬に苦労したことはありましたが)。あったとしても、ここまで激しい落馬はこれまで無かったような……?

男たちは駆け足で、馬は躓いて水をはねながら、私たちはりっぱな橋を渡って平川を越え、また半マイル先で別の橋を渡って同じ川を横切った。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.306-307 より引用)

イザベラが渡った「りっぱな橋」ですが、「遠部沢」を渡る「岩淵橋」と「津刈つがり川」を渡る「船岡橋」でしょうか。もしそうだとすると、厳密には「同じ川」を横切ったとは言えないのですが……。

日本の他の橋も、すべてこのようにしっかりしたものであればよいと思った。橋はどちらも長さ一〇〇フィートで、中央に橋脚があった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.307 より引用)

矢立峠からの下りで、眼の前で橋が流されたのを見ているだけに、イザベラのコメントは重みがありますね……(汗)。

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