鵡川行き列車代行バスはベルリンの壁を越えて新冠町に入ります。左側に線路も見えますね。
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日高本線の線路は海のすぐ傍を通っています。佐瑠太(後の富川)から静内までは国鉄ではなく、「日高拓殖鉄道」が建設した区間です。
新冠の市街地に入りました。左手に踏切が見えます。
新冠「レ・コード館」
列車代行バスはそのまま国道 235 号を直進します。右にセブイレ、左にセイコマという激戦地が近づいてきました。
左手には、広い敷地にでっかい建物と駐車場が見えます。ショッピングモールのような佇まいですが、セイコマ、道の駅「サラブレッドロード新冠」、「レ・コード館」などの複合施設……のようです。
「レ・コード館」の前のバス停で札幌行き「高速ペガサス号」を追い越してしまいました。列車代行バスは「新冠駅」バス停に向かっていて、道南バスの「新冠」バス停には停車しないから……なんですが、ちょっと面白い現象ですね。
新冠駅へ
「高速ペガサス号」を追い越した列車代行バスは、すぐに交叉点を左折してしまいました。
この道路は Google マップによると「ハーモニー通り」とのこと。T 字路状のカーブを右に曲がって……
西に進むと、今度は左に分岐する三叉路が見えてきました。
三叉路の先には日高本線の踏切が見えています。踏切の警告標識は昔ながらの蒸気機関車が描かれたものです。
日高本線の踏切を横断します。展望塔のような建物が「レ・コード館」です。
新冠駅
踏切を渡ると列車代行バスは右折し、ロータリーに入りました。「出会いと憩いのセンター」という謎な建物が見えますが、この建物が「新冠駅」です。
下が中空構造になっているホームが見えます。新冠駅は 1999(平成 11)年に現在の位置に移転したとのことで、ホームが近代的な構造なのも移転したことに依るものかもしれません。
今風の洒落た駅舎だなぁ……と思ったのですが、これも 1999(平成 11)年に移転した際に新築されたものなんでしょうね。
高江駅跡
列車代行バスは「新冠駅」を出発しました。再び、先ほど通過した踏切を北に向かうことになるのですが……おやっ?
「新冠町エコミュージアムふるさと探訪⑤ ~高江駅跡~」と題された石碑が立てられていました。このあたりにはかつて「タカイサラ」という地名があり、それに由来する「高江」が当初の駅名だったんですね。
1978(昭和 53)年頃の空中写真を見ると、確かに踏切の位置に駅舎があったようです。
Google マップで同じ位置を見てみると、駅舎のあったところが踏切になっています(「道道 209」のマークがありますが、この踏切は道道では無かったような……)。
新冠の市街地は踏切が東西に二つしか無く、しかも駅舎が線路の南側に面していたので、国道の北東側に移転した町役場に向かう際に遠回りを強いられた……ように見えます。
もちろんそれだけが理由ではないと思いますが、駅を西側にシフトさせることで南北の交通路(踏切)を追加するというアイディアは近代的な印象を与えます。町と駅の将来をしっかり考えた町作りが行われていたように感じられますが、日高本線が自然との戦い(災害)に敗れ去るというのは想定外だった、ということでしょうか。
列車代行バスは、移転前の新冠駅跡である踏切を渡ります。
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