Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(初日の夕食編)

まだ出港まで 1 時間近くありますが、6 甲板のレストラン「サントリーニ」にやってきました。早めに乗船を開始して船内のレストランで夕食を提供するというのは他の会社でも見られますが、乗客にとってはメリットしか無いですよね!

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。

レストラン「サントリーニ」のシンボルマークは、「S」の字の形をしたタツノオトシゴのようです。「サントリーニ」はギリシャの「サントリーニ島」に由来すると思われるのですが、「サントリーニ島」が「タツノオトシゴ」の形をしているとして、島の(非公式な?)シンボルになっているとのこと。

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北海道のアイヌ語地名 (967) 「ニッパコシキクウシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニッパコシキクウシナイ川

nispa-{ko-sikiru}-us-i?
旦那・{ひっくりかえった}・そうである・ところ
(? = 典拠あり、類型未確認)

札鶴川の東支流です。斜里川の南支流(西支流)である「アタックチャ川」と、札鶴川の東支流である「タラタラッペ川」の間あたりを流れていますが、残念ながら地理院地図には川名が記されていません。

このあたりの「東西蝦夷山川地理取調図」は札鶴川(サツル)の認識に誤りがあり、札鶴川の道道 1115 号「摩周湖斜里線」沿いの区間が「サツル」とは別に描かれています(本来は同じ川なのに、異なる川として描かれています)。

「ニッパコシキクウシナイ川」と思しき「ニシハコシキルランニ」は「サツルフト」で斜里川に合流する川(=サツル)の東側に描かれていました。位置はともかく、松浦武四郎が当地を訪れた際に既に存在していた地名(川名)だということは間違い無さそうです。

「夷人の酋長が死んだ」説

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

少し行て
     ニシバコレキルシ
川有。橋を架る。此辺にて大古夷人の酋長死せしと云訳なりとかや。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.398 より引用)

また、永田地名解には、更に具体的な形で解が記されていました。

Nishipa koshikiru ushi  ニシパ コシキル ウシ  アイヌ仰向キニ倒レテ雪ノ爲メニ死シタル處

nispa は意外と日本語での表現が難しいのですが、「裕福な男性」あるいは「裕福で身分の高い男性」と解釈するのが一般的でしょうか。ただ中川裕先生は「『特別な資産家』という意味はない」としているので、地元の「名士」あたりと言ったところかもしれません。

kosikiru というのも馴染みの無い語ですが「ふり向く」という意味とのこと。nispa-kosikiru-us-i だと「名士・ふり向く・いつもする・ところ」ということになりそうでしょうか。これだと「酋長が死んだ」とは言えそうにないところに難がありますが……。

「旦那がそこで倒れた」説

斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ニㇱパコシキルシ(札鶴川左岸) 「ニㇱパ・コ・シキル・ウシ」(nispa-ko-sikiru-usi 旦那が・そこで・倒れた・所)。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)

どうにも謎なのが、kosikiru あるいは sikiru を「倒れる」あるいは「ひっくり返る」とする解釈が辞書類に見当たらないところで、たとえば「アイヌ語文法の基礎」にはこんな風に解説されています。

sikiru は si- 「自分を」,kiru 「回す」と分析される。si- は間接再帰の形式(32 課参照)であるから,「あたかも自ら努力してではないかのごとく,くるりと身を翻す」という意味になるであろう。なお,sikiru は人間について用いて,en-ekota sikiru「俺の方へ(くるっと)向け。」のように使われるが,他方,魚のすばしっこい動作を象徴的に表す動作と考えられているようである。
(佐藤知己「アイヌ語文法の基礎大学書林 p.310 より引用)

「幕府の役人がひっくり返った」説

ただ、「アイヌ語入門」では次のように記されていました。ちょっと長いですが、正確を期すために引用しますと……

 キタミ国シャリ郡にニシパコシキルシという地名があり,蝦夷語地名解には次のように出ている。
  Nishipa koshikiru ushi ; ニシパ コシキル ウシ ; アイヌ仰向キニ倒レテ雪ノタメニ死シタル処(地名解 496)。
 これは,いわゆる斜里山道──もとアイヌ根室領と斜里方面の間を往来するのに利用していた踏み分け路を,享和元年(西暦 1801)蝦夷地御用掛であった松平忠明が通るというので,釧路のシラヌカ(白糠)に屯田として入っていた原半右衛門らがきりひろげたもの──の山中の地名であるが,正しい語形と意味は次のとおりである。

なんと、めちゃくちゃ具体的な情報が……! もちろん続きがあるのですが……

  Nispakosikirusi. にㇱパコシキルシ。< nispa(だんな〔が〕)+ ko(そこで)+ sikiru(ひっくりかえった)+ usi(所)。

知里さんは nispa を「旦那」としています。sikiru を「ひっくりかえった」とするのは永田方正の解を追認しているようですね。

 永田方正氏の解釈では,nispa を「アイヌ」と訳しているが,ただのアイヌをニㇱパなどと呼ぶはずがない。これはおそらく,幕府の役人などが,土地のアイヌどもを人夫にかりだして,威風堂々とここを通りかかったまではよかったのだが,そこのぬかるみに足をとられて引っくりかえった,などというような故事でもあって名づけられたものであろう。
知里真志保アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.18-19 より引用)

「ただのアイヌをニㇱパなどと呼ぶはずがない」という点には議論の余地がありますが、知里さんは次のように考えていたようです。

アイヌが引っくりかえったところで,起きあがればそれですむことで,たいして問題になることでもない。しかし,日本の役人が引っくりかえったとなると,当時としては大変な事件で,後世に地名を残すだけの値打があったと見なければなるまい。
知里真志保アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.19 より引用)

確かにそうなんですよね。地名にわざわざ大仰な nispa を冠している時点で特別なエピソードの存在を期待したくなりますし、「幕府の役人がひっくり返った」という「笑い種」が公には「昔のアイヌの酋長が──」という形で伝わっていたという話も、なんとなく「ありそうな感じ」がします。

もちろん「『昔のアイヌの酋長』ですら足を踏み外す危険な場所」だ……ということを後世に伝えるためのネーミングである可能性もあるわけですが、それだったら普通に wen-nay で「悪い・川」とか wen-sir で「悪い・崖」のような地名でも良いわけで、あえて nispa というワードチョイスが見られるところに「幕府の役人」の影を見出したくなるんですよね。

ko-sikiru は「ひっくりかえった」とありますが、これは釣り上げられた魚が身をよじって難を逃れようとする様を示しているのかもしれません。つまり、川に落ちた「ニㇱパ」のリアクションを形容していたんじゃないか……と。

余談「幕府の役人がリアクション芸人顔負けだった説」

ということで、「ニシパコシキルシ」は nispa-{ko-sikiru}-us-i で「旦那・{ひっくりかえった}・そうである・ところ」と考えたいです(もはや願望では)。それにしても、この「ニシパコシキルシ」が現在も「ニッパコシキクウシナイ川」というおかしな名前で現存していたとは……!

更に余談ですが、「アイヌ語入門」には次のような一節が続いていました。

 ところで,わたくしがシラヌカを調査に行ったとき,念のために土地の古老──興行用のでなく真正のアイヌの古老──に,この地名の意味を尋ねてみると,彼はなんの苦もなく,
 「あそこはヤチ(湿地)だから,どっかのニㇱパ(だんな)がコシキリ(腰っきり)ぬかったんだベヨ!」
といってのけたのには,わたくしをはじめ,同行の K, S, W, N など,さすがの‘ニㇱパ’連も,‘ひっくりかえる’ほど驚かされたものである。
知里真志保アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.19 より引用)

アイヌの古老」の返答がどこまで冗談でどこからがネタなのかは不明ですが、「川に落ちた『ニㇱパ』の反応がリアクション芸人なみの傑作なものだった」ことに由来するネーミングなのだとしたら、必ずしも間違っていないような気も……。

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北海道のアイヌ語地名 (966) 「沙輪・オニセップ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

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沙輪(さりん)

{sar}-ru-e-ran-i
{斜里川}・路・そこから・降りる・ところ
(典拠あり、類型あり)

JR 石北本線の「緑駅」(かつての「上札鶴駅」)の 3 km ほど東(ちょい南)の山上、NTT 緑無線中継所の近くにある二等三角点の名前です。

いかにも曰く有りげなネーミングですが、「大日本地名辞書」に次のような記載がありました。

斜里川の上游に根室国標津郡及び釧路国川上郡に通ずる山道あり、専、止別駅より往来す。野川より湧生ワツカオイウヌンコイに至る凡三里、之より東南に山越して、標津郡のケネウオイカの渓谷に入る。サリンウエラニ、ウヌンゴイ等の開墾は、涌生の北に属す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.212 より引用)※ 原文ママ

「湧生」と「涌生」で字が異なりますが、そこはスルーの方向で。どうやら斜里川の近くに「サリンウエラニ」という開拓地?があるように読めます。

この情報をもとに改めて「竹四郎廻浦日記」を見てみると、次のような記載が見つかりました。

小き小川をこへて坂を上りまた直に下りて、
     シヤリルヱラ(ン)
平地谷地多し。両山蹙りて其間小川を此(方)向方に渉りて行事也。昔は本道此辺に無りしと。やはりシヤリ本川筋の上を通りしと聞。昼休所仮屋有。地名は川端え下しりと云事也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.398 より引用)

「シヤクルエラン」問題

また「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤルエラン」という地名?が描かれていました。これは大きな問題のある記録で、「シヤリルエラニ」であれば「斜里川」関連の地名と考えられるのですが、「シヤクルエラン」であれば「札弦川」関連の地名である可能性が出てきます。また「沙輪」三角点は *斜里川の東* にあるのですが、「シヤクルエラン」は *札弦川の西* に描かれています。

位置が大きく異なることから「シヤリルエラニ」と「シヤクルエラン」がそれぞれ別のものと考えることもできますが、「東西蝦夷──」では「シヤクルエラン」の近くに「ヘツウトルクシ」という川が描かれていました。この川(ヘツウトルクシ)は「竹四郎廻浦日記」の記録や明治時代の地形図から *札弦川の東* を流れていたことがほぼ確実と見られるため、問題の「シヤクルエラン」は「シヤリルエラニ」の誤記で、札弦川の東側の地名だと考えるのが自然に思われます。

サリンウエラニ」は「シヤリルエランニ」?

「大日本地名辞書」にあった「サリンウエラニ」が、この「シヤリルヱランニ」のことだと考えられるのですが、「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シャリルエラニ(札鶴川左岸) 斜里川へ行く路の降り口。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)

「シヤリルエラニ」は {sar}-ru-e-ran-i で「{斜里川}・路・そこから・降りる・ところ」と見て良さそうでしょうか。これが訛ったり略されたりで「沙輪」になり、何故か対岸の山上にある三角点の名前として生き残った……ということのようです。

オニセップ沢川(オニセップ川)

onne-sep?
大きな・広い
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

JR 石北本線・緑駅の 2 km ほど南で札弦川に合流する西支流です。すぐ下流側には「ポンオニセップ沢川」も流れています。この川も表記にゆれがあり、地理院地図では「オニセップ沢川」ですが国土数値情報では「オニセップ川」です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には札弦川の西支流として「ヲニセツフ」という川が描かれていました。また明治時代の地形図には「オニセㇷ゚」とあり、現在の「オニセップ」とほぼ変わらないように見えます。

斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 オニセプ(札鶴川右岸の枝川) 「オンネ・チェプ」(onne-chep 老いた・鮭,産卵後の鮭)。ここは昔から鮭の種川であったと云う。前項のポン・オニセプ川に対して,これをオンネ・オニセプ(Onne Onisep オニセブの親川) とも称する。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.255 より引用)

うーん……。「オニセプ」が onne-chep だとすると「ポンオニセプ」は pon-onne-chep ということになります。onne は「年老いた」という意味ですが、「年老いた」は「年長である」ということから転じて「親である」とされ、onne- を冠した地名と対となる形で mo-pon- を冠した地名が存在するケースが多いのですね。

つまり pon-onne-chep は「子である・親である・魚」となりかねない危険性があるのですね。もちろん onne-chep を固有名詞と見て pon-{onne-chep} と考えることは可能で、永田地名解にもこのような例は見られるようですが……。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 オニセップ沢 札鶴川上流の左小川の沢。アイヌ語「オンネ・セップ」で,歳老いた広いところであるというが,「オ・ニ・セップ」で川口に木ある広いところともとれる。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.461 より引用)

「年老いた広いところ」というのはちょっと意味不明な感じがしますが、onne の「年老いた」→「親である」という解釈をもう一歩具体的に「大きな」とすることで、onne-sep を「大きな・広い」と解釈できそうな気がします。

sep と呼ばれる川は道内のあちこちにあると思われますが、最も有名?なのが日高地方の「節婦川」でしょうか。この川を遡ると途中で三つに大きく枝分かれしていて、中流部から上流部にかけての流域が「広く」なっているという特徴があります。

川の規模の違いはさておき、この「中流部から上流部にかけての流域が広くなる」という特徴は「オニセップ沢川」にも当てはまるように思われるのですね(地図)。「ポンオニセップ沢川」も上流部で流域がちょいと広くなっているように見えるので、似た特性を持つ兄弟川と捉えられていたのではないかと思うのですが……。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(グリーンステージ編)

太平洋フェリー「いしかり」のルームキーは、ご覧のような磁気カードタイプのものです。

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最近は IC カードタイプのルームキーも増えていますが、磁気カードタイプのものは記念に持ち帰ることができるのが最大のメリットでしょうか。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(バス・トイレ編)

引き続き「スイート」の室内を見て回りましょう。部屋の右側(丸テーブルの右側あたり)には引き戸があって……

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引き戸の向こうには洗面所とバス・トイレがあります。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(お部屋編)

「いしかり」の 6 甲板左側最前部にある「スイート」にやってきました。ドアを開けて右(船首方向)を見ると……おおおっ。

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丸テーブルとチェアがあり、その横にはベッドとしても使えそうな長いソファーがあります。この手のソファーは気分転換に良いんですよね。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(客室までエスコート編)

2 甲板の「客室入口」に向かいます。入口横のスロープにはじゃんじゃん車が下りてきていますね。

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エレベーターもご利用ください

「客室入口」のドアが見えてきました。車輌甲板なので当然ながら車が駐車しているのですが、間隔はそれほどカツカツでは無いですね。入口の前だからかもしれませんが……。

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