土足で踏み込める第 2 ギャラリー
引き続き「武相荘」なのですが、土足厳禁だったメインの展示とは別に「第 2 ギャラリー」もあります。
なにやら高床式倉庫のような建物ですね。階段を上ってみましょう。
……えー、ここも御多分に洩れず「撮影禁止」だったのですが、色々とコアなものが展示されていました。今から思えば、この「第 2 ギャラリー」は、白洲次郎氏関連の展示だけ、だったかも知れません。
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具体的にどういったものが、という話ですが、白洲次郎氏がイギリスに留学?していた時の自動車関連(レース関連?)のライセンス(だったかと)とか、「マ元帥」ことダグラス・マッカーサーにプレゼントした自作の椅子(レプリカ)が置いてあったりとかです。
椅子を献上するにあたってマッカーサーに宛てた書状のコピーも展示されているのですが、日本語だと「貴方にとって唯一無二の忠実なるしもべ」と名乗っているような、とても謙った文面でした。こういった所からは、白洲(次郎)は単なる対米強硬派では無かったことが自ずと判ってきます。
Play Fast, Eat Fast (not Far East)
白洲次郎氏は「クルマ」と「ゴルフ」が大好きだったようなのですが、クルマはさておきゴルフに関してはのんびりとコースを回ることを良しとしない性格だったようです。
o 非常にせっかちな性格の持ち主。その為ゴルフは「プレイ・ファスト」、食事は早食い。酒も手早く済ませたと伝えられている。軽井沢ゴルフ倶楽部では「素振り禁止」と張り紙をしたり、次郎の方から食事に誘った友人よりも早く食べ終えて「早くしろよ」と急かす事もしょっちゅうだった。
で、この "Play Fast" をあしらった T シャツがあってですね……。
売店で販売していたので、つい買ってしまいました(笑)。
日本人のプリンシプルはどこへ消えたのか
白洲次郎氏はまとまった著作を残さなかったと言われていますが、そんな彼の代表作?と言えるのが『プリンシプルのない日本』でしょうか。さて、その題名にも使われている「プリンシプル」という言葉について、本人は次のように語ったとされます。
「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい」(「諸君」昭和44年(1969年)9月号)
残念なことに私も「プリンシプル」という言葉(英語だと principle)の適切な訳語を知らないのですが、大凡どのようなものであるかは判った……ような気がします。白洲次郎氏が言う「プリンシプル」は、あえて極言すれば「筋」という一言に集約できるんじゃないかなぁ、と思っているのですが、いかがでしょうか。
「筋」をブレさせる因子は、たとえば「合理性」であったり「煩悩」や「欲望」ではないかなぁ、と。また、「筋」は「美学」によって補強されるのではないか、とか。「プリンシプル」が、個人のプロパティとして存在する類のものであるとすれば、当たらずとも遠からずではないかと思うのですが……。
あなたのプリンシプルはどこ?
さて、そんな「第 2 ギャラリー」を、これまた微笑ましく観覧していたのですが、いきなり階段をどかどかと上がってきて、室内の写真を撮ってすぐに出て行った人がいました。「撮影禁止」という字が見えなかったのか、それとも「撮影したところで減るもんじゃないし」とでも考えていたのか。
「撮影禁止」のギャラリーに踏み込んで、ケータイのカメラで写真を撮ってさっさと出て行った人には、「あなたのプリンシプルはどこ?」と聞いてみたい気持ちになりました(まる)。あれ、作文?
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