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アイヌ語地名の傾向と対策 (89) 「恵茶人・貰人・羨古丹」

本日は、浜中町の「どマイナー」なアイヌ語地名をご紹介します。

恵茶人(えさしと)

e-sa-us-i-to?
頭・浜・つけている・所・沼
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

初田牛(根室市)の南西にある、太平洋に面した海岸部の地名です。「恵茶人沼」や「恵茶人沼川」があります。鉄道も国道も通っていないところだからか、山田秀三さんの「北海道の地名」に記載が無いどころか、「角川──」(略──)にも記載が無かったりします。

……と思って精査してみたところ、ありました!(汗) せっかく見つかったので、「角川──」()の記事を見てみましょう。

 えちやしとう エチヤシトウ <浜中町>
〔近世〕江戸期から見える地名。東蝦夷地アツケシ場所のうち。エチヤンシト・エチヤシトともいう。釧路地方東部,太平洋沿岸の恵茶人沼付近。地名は,アイヌ語のイチャシュトー(走り沼の意)に由来する(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.215 より引用)

ふむふむ。i-chas-to で「アレ・走る・沼」という意味だと言うのですが……(「アレ」は「熊」と解釈していたようです)。幸いなことに、この「どマイナー」な地名について、更科源蔵さんの「──地名解」に記載がありました。それでは更科さんのセカンドオピニオンをどうぞ。

熊走る沼とはどう考えてもうなずけない。エサシまたはエサウシで山が海岸にせり出しているところ(頭を浜につけている)と思うが、トはやはり海と解すべきかとも思うが、近くに小沼がある。

更科さんは e-sa-us-i-to で「頭・浜・つけている・所・沼」ではないかと考えたようです。つまり、(トーを抜きにすれば)道南の江差北見枝幸と同じではないか、ということですね。

この手の解釈が出てきた時には地形図を見るのが近道なのですが、確かに恵茶人沼は「凹」のような形をしていて、沼の真ん中に巨大な「鼻」がせり出しています。更科さんは「トは海と解すべきかとも思うが」としていましたが、ここは素直に「沼」のことを指しているとすべきかもしれません。

貰人(もうらいと)

moyre-atuy
静かな・海
(典拠あり、類型あり)

恵茶人の西隣にある地名です。更科源蔵さんは「古い五万部図にはポロチェプモイ(魚の多い入江)とあり、モライトという地名は見当たらない。」としています。確かに「角川──」()にも「貰人」という地名は見当たらないのですが、それもその筈でして……。引用いってみましょう。

 もえーれあとい モエーレアトイ <浜中町>
〔近世〕江戸期から見える地名。東蝦夷地アツケシ場所のうち。モイレアトエ・モエレトマリともいう。釧路地方東部,仙鳳趾川と恵茶人沼の間の太平洋沿岸。地名は,アイヌ語のポンモイレモイ(小さな静かな湾の意)に由来するものか(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1512 より引用)

というわけでして……。そりゃあ「貰人」「モライト」では見つからない筈です。しかし、最後に

のち貰人と表記。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1512 より引用)

とあるので、間違いなさそうです。おそらく、moyre-atuy で「静かな・海」という意味だったのでしょうね。

羨古丹(うらやこたん)

uray-kotan?
梁・村
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

浜中町の海沿いの地名は、「角川──」の元資料が古かったのか、あるいは公式地名の漢字化?が遅かったのか、現在の地名とは似ても似つかぬ名前で採録されているのでなかなか大変なのですが、この地名はどうでしょうか。なかなか読めない地名ですが、「羨ましい」の「うらや」と解釈すれば一発で読めそうな気もします。

さて、そんな「羨古丹」をどきどきしながら探してみたのですが……

 うらやこたん ウラヤコタン <浜中町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.202 より引用)

漢字では無かったものの、そのまんま「ウラヤコタン」でした。世の中こんなものですね。続きを見てみましょう。

〔近世〕江戸期から見える地名。東蝦夷地アツケシ場所のうち。釧路地方東部,浜中湾沿岸。現羨古丹付近。地名は,アイヌ語のウライコタン(梁網の村の意)に由来(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.202 より引用)

えーと、確かに uray-kotan で「梁・村」という意味になりますね。ただ、続きもありまして……

松浦武四郎「初航蝦夷日誌」に「ウラヤコタン,番屋壱軒有。海岸暗礁多し。又ヲライ子とも云り……此処より陸道アン子ベツへ山道有るよし也」,同「戊午日誌」に「ウラヤコタンと云。本名はヲライ子コタンなるなり。近年迄番屋有りしと,今はなきよし,此辺鷲多し」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.202 より引用)

とある通りで、元々は「オライネコタン」という地名だった可能性もありそうです。o-rawne-kotan であれば「河口・深くある・村」となります。羨古丹川はとても深くえぐれた川なのですが、河口はむしろ砂が堆積しているので、ちょっと違うでしょうか。「オライネコタン」という音からは or-aynu-kotan で「中・人間・世界」という解釈も成り立ちそうですね。

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