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秋の道南・奥尻の旅 (100) 「松前線の跡」

「北海道最南端」の白神岬をささっと通過して、松前町に向かいます。何故か高台に建物が多く見えてきました。もしかして線路の跡かな……? と思ったのですが……

地図で確かめたところ、この「白神」集落には国鉄松前線は通っていませんでした。高波や津波対策からか、集落の真ん中を流れる「白神川」のおかげで取水にも苦労しないからか、この集落は基本的に高台の上にあるんですね。

松前線の橋脚

国鉄松前線の遺構は、この上なくわかりやすい形で姿を見せてくれました。

荒谷と大沢の間を流れている「ヒジノ下川」には、未だに松前線の橋脚が健在でした。津軽海峡の南北に建設された(あるいは「されようとしていた」)鉄道はどれも線路が高台を通っているのが特徴的ですね。

2010 年だったか、小樽から道南の西海岸を走破して函館を目指したことがありました。もちろん松前も経由地の一つだったのですが、途中で荒天に見舞われ、結局八雲から噴火湾経由に泣く泣くルートを変えたことがありました。

松前線の路盤跡

ということで、3 年の時を経て、ようやく松前の地を訪れることができたのでした。この日の旅程はあまり余裕が無かった(宿泊先で夕食を予約していた)ので、途中の名所にもあまり寄ること無く淡々と車を走らせていましたが、さすがに松前の町くらいはちょいとばかしウロウロしてもバチが当たることは無いでしょう……

何を探していたかと言うと、ここでもやはり、国鉄松前線の遺構でした。松前中学校の南側にあったとされる松前駅のあたりから、松前郵便局の前を抜けて東に戻り、あからさまに謎めいた雰囲気を醸し出していた直線道路に向かいます。

地図で確認した限りでは、やはりこの道路は松前線の松前-及部間の路盤を転用したものだったようです。もっとも、この道路の起点と終点はどちらもカスタマイズされていて、

例えば西側の終点はこのような急な下り坂になっていますが、国鉄松前線はこんな下り坂ではなく、逆に橋で住宅地を越えて福山城に向かっていたようです(福山城の下をくぐるトンネルがある筈なのですが、さすがにこれは道路に転用されていませんでした)。

大磯橋

ということで、駅の跡を見ることは叶いませんでしたが(下調べ不足ですね)、国鉄松前線の痕跡をしっかりと実感することができたので、予定通り北に向かうことにしました。

松前町内の国道 228 号(旧道)は、上から 4 枚めの写真のような感じの「町中のメインストリート」だったので、海沿いの埋立地の間をいくつもの橋でつなぐバイパスができています。橋の中でも一番長い「大磯橋」を越えると、国道 228 号は海抜 30 m ちょいの高台をまっすぐ突き抜けるルートを通ります。

移動中にツルハを見かけると、「都会だなぁ」と感心してしまいますね……。

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