Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

アイヌ語地名の傾向と対策 (441) 「ベニカモイ・長渕・生渕」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ベニカモイ

pinne-kamuy
男・神
(典拠あり、類型あり)

太櫓川下流域の地名です。太櫓川は(多くの川と異なり)下流部で随分と山が入り組んでいるのですが、現在の「ベニカモイ」は山が複雑に入り組んでいる部分の手前(上流側)の地名です。

西蝦夷日誌には、太櫓川筋の川名・地名として次のように記されていました。

フシコベツ(左古川)、ネトハツタラ、(并て)アシリハツタラ(右淵)、ホンベツ(右小川)、ホンヌタフ(大曲)、ヒンネカモイ、(井て)マチネカモイ(右小川)、是男神女神の住給ふ所也と。越てウロヽハツタラ(淵)、ホロヌタフ(大曲)、ヲサウシ(沙地)、爰(ここ)にて毎年土人鮭網を曳よし也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.33 より引用)

ちょっと長めに引用しましたが、「ヒンネカモイ」「マチネカモイ」という地名の存在を確認できました。東西蝦夷山川地理取調図にも「マツ子カモイ」「ヒン子カモイ」の文字があり、どちらも川の南側の地名(川名かも)として記されています(「ベニカモイ」は川の北側の地名です)。

西蝦夷日誌には「ヒンネカモイ」「マチネカモイ」の順に記されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「マツ子カモイ」「ヒン子カモイ」の順に記されています。現在の「ベニカモイ」が「ヒンネカモイ」こと pinne-kamuy だと考えるならば、東西蝦夷山川地理取調図の記載が正であると考えることになります。

もっとも、「西蝦夷日誌」も「東西蝦夷山川地理取調図」も「ヒン子カモイ」「マツ子カモイ」を太櫓川の南側に記しているので、それを「間違いである」と仮定しないといけないわけですが。


そして、そもそも kamuy とは何か、という話にも触れておかないと意味がないかもしれません。旭川にある「神居古潭」は有名ですが、kamuy-kotan、すなわち「神の住処」は、人が住むのはおろか通行するのすら憚られるような場所にあることが多いです。

そう認識しながら地形図を見てみると、酷く入り組んだ山が川のすぐ傍まで迫っているところがいくつか目につきます。この難所を指して kamuy と呼んだのかな、とふと思えてきました。

現在の「ベニカモイ」自体は田んぼが広がる川沿いの盆地ですが、西側に山が川の傍まで迫っている場所がありますので、これを指して pinne-kamuy と呼んだということでしょうか。

長渕(おさふち?)

o-sat-us-i?
河口・乾く・いつもする・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

ベニカモイから見て下流側に位置する、太櫓川の南側の地名です。戦前の地形図には「淵長(ヲサ)」とルビが振られていたので、「おさふち」または「おさぶち」と呼ぶのが正解かなぁ、と思っています(間違っていたら教えてください)。

この「長渕」ですが、西蝦夷日誌のこの記録に相当すると思われます。

ヒンネカモイ、(井て)マチネカモイ(右小川)、是男神女神の住給ふ所也と。越てウロヽハツタラ(淵)、ホロヌタフ(大曲)、ヲサウシ(沙地)、爰(ここ)にて毎年土人鮭網を曳よし也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.33 より引用)

引用部が長くなってしまいましたが、「ヲサウシ(沙地)」がそれではないかと考えました。「ヒンネカモイ」よりも上流側になるのが若干変な感じもしますが、戦前の地形図を良く見てみると、ベニカモイの南東側に「淵長」の文字があります。ちょっとした扇状地状の地形になっているあたりですね。

現在の「長渕」の位置であれば e-sa-us-i で「頭・浜のほう・つけている・もの」という解釈も成り立つのかなぁと思ったのですが、ベニカモイの南東側を指すのであればこの解は成り立たないと思われます。素直に o-sat-us-i で「河口・乾く・いつもする・もの」と考えていいのかなぁ、と思います。

生渕(なまふち?)

asir-hattar?
新しい・淵
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

長渕から見て更に下流側に位置する、太櫓川西側の地名です。国土地理院の地形図には集落の近くに「旭橋」という橋が描かれていますが、実はこの橋、既に存在しないようです(下流部にバイパスができたので)。

この「生渕」ですが、西蝦夷日誌の以下の記述を参考に考えると……

フシコベツ(左古川)、ネトハツタラ、(并て)アシリハツタラ(右淵)、ホンベツ(右小川)
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.33 より引用)

どうなるのでしょうね(ぉぃ)。ここで言う「ホンベツ(右小川)」を現在の「小川」のことだと考えると色々と整合性があるので、それから考えると「生渕」は「アシリハツタラ」である、となるのでしょうか。asir-hattar で「新しい・淵」となりますね。

asir は「新しい」という意味ですから、意訳するとしたら「新」の字を当てるのが適切に思えます(音訳であれば「走」の字を当てるケースもありますね)。「新しい」を「新鮮である」と考えて「生」の字を当てた……というのは想像が過ぎますが、あるいは「走」の字を誰かが間違えて「生」にしてしまった、とかでしょうか。これも想像が過ぎる感が否めないですが、実はありそうな話だったりします。

「長渕」の「渕」が us-i の音訳で、「生渕」の「渕」が hattar の意訳というのも出来すぎた感がありますが、先に「長渕」という地名が成立して、それを参考に「生渕」(「走渕」かも)という地名を作ったと考えれば、あながち無茶とも言えないような、そうでもないような(どっちだ)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International