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アイヌ語地名の傾向と対策 (479) 「初神沢・トッペ沢・ラスタッペ岬」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

初神沢(はつかみ?──)

hasa-kamuy??
口を開けた・神様?
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

メノコシ岬」から更に北に向かうと、「初神大橋」という橋で「初神沢」を渡ります。初神沢を遡った先には「初神山」もあります。

この「初神沢」ですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記録されています。

少し岬有廻りて、
     ハシカミサワ 小岬
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.218 より引用)

他にも「ハチカミサワ」という記録もあるようです。ここからは想像で話を進めるしか無いのですが、実際の「初神沢」は、このあたりでは比較的大きく掘れた谷状の地形です。

この「大きく掘れた」形状を「口を開けた」と考えて、hasa-kamuy で「口を開けた・神様」という可能性は無いかなぁ……などと考えてみました。

「ハシカミ」あるいは「ハチカミ」という地名は、青森県三戸郡階上(はしかみ)町や宮城県気仙沼市波路上(はじかみ)などがあります。残念ながら「初神沢」との地形的な類似点は見いだせませんでしたが……。

トッペ沢

tuk-pe?
隆起する・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

初神大橋の 6~700 m ほど北に「トッペ沢橋」という名前の橋がかかっています。おそらく「トッペ沢」という名前の川が流れているのでしょうね。

最初は tope-ni(楓)でも群生しているのかと思ったのですが、古い地形図を見ると「トッピ山」や「トッピ山岬」という記載があることに気が付きました。なるほど、元々は山の名前で、初神山の西尾根を指していたのでしょう。「トッピ」あるいは「トッペ」は tuk-pe で「隆起する・もの」だったのではないでしょうか。

なお、「東西蝦夷山川地理取調図」には「トツヘイマ」という地名?が記録されています。これは「トッペの澗」と考えればいいのかもしれませんね。

ラスタッペ岬

o-nutap-pe?
そこに・岩崖の上の平地・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

上ノ国町小砂子から国道 228 号を北上すると、初神大橋、トッペ沢橋、大滝橋、小滝橋、矢立橋を越えた先で少し海側が開けてきます。国道から 400 m ほど西側に「ラスタッペ岬」があります。

このラスタッペ岬ですが、不思議なことに、「東西蝦夷山川地理取調図」や「竹四郎廻浦日記」などには記載がありません。手持ちの資料で唯一それっぽい記載があったのが、あの「北海道地名誌」でした。

 ラスタッペノ岬(~さき)石崎南西の岬。「ラㇱ・タ・ぺ」で木を割るところか。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.135 より引用)

ほう。随分と明快な解が出てきました。確かに解釈に澱みがないのですが、こんな場所で果たして本当に木を割っていたのだろうか、という疑問が出てきてしまいます。

そう思って古い地形図を眺めていると、そこには「岬ペッタヌオ」と書かれているではありませんか。右からだと「オヌタッペ岬」と読めます。なるほど、「オヌタッペ」が「ヲヌタッペ」と書かれていたことがあって、「ヲヌ」を「ラス」と見間違えたということなのでしょうか、だとすれば o-nutap と読み解けそうですね。

nutap は、一般的には「川によって形成された湾曲内の土地」と解釈されます。そのため、海沿いの「ラスタッペ岬」では全くその要件を満たしません。ただ、知里さんの「──小辞典」には、他にもいくつかの解釈が記されていました。

nutap, -i ヌたㇷ゚ ①川の彎曲内の土地。②【ナヨロ】山下の川ぞいの平地。③【サマニ】川ぞいの岩崖の上の平地。kim-un-~ 山奥の峰の上の岩原。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.70 より引用)

ふむふむ。どうやら解釈③が比較的近そうですね(川沿いではなくて海沿いという違いはありますし、様似と上ノ国は相当離れていますが)。ということで、o-nutap-pe で「そこに・岩崖の上の平地・所」と考えていいのかな、と思います。

ただ、一点非常に気になる記述を見つけました。日本歴史地名大系の「北海道の地名」に、次のようにあるのです。

元禄郷帳には村名がみえないが、享保十二年所附に「ちいさこ村」とみえ、北の石崎村との間に「堺川」「めのこしわしり」「もつ立石」「はちかみ沢」「泉沢」「大滝」「矢立石」「あふみ沢」「らしたつへ」が記される。
(永井秀夫・監修「北海道の地名(日本歴史地名大系)平凡社 p.419 より引用)

享保 12 年は西暦 1727 年のことですから、この時点で「ヲヌタッペ」が「ラスタッペ」と取り違えられていて、しかも明治時代までに一旦誤謬が修正されていたことになります。そして、再度享保年間の誤記に合わせた形に地名が修正された、ということになってしまうのですね。

まぁ、享保年間の郷帳の誤りが地元民に広まったと考える必要も無いので、元々は o-nutap-pe で地元民もそのように認識していたところを、昭和以降に郷帳の誤記?をベースに名前を変えてしまったのかもしれませんね(強引な推論ですが)。もちろん ras-ta-p で「木片・切る・ところ」が本来の名前だったと考えてもいいのですが、前述の通り、ここが木を割る適所である理由がちょっと思いつかないのです。

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