やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
幕西町(まくにしちょう)
胆振総合振興局の西のあたりの地名です。東西に伸びた谷間に住居が密集しているのが印象的ですね。
「東蝦夷日誌」には次のように記されていました。
マクニシ(番屋)漁に行て泊る義也。爰(ここ)より外海へ五六丁也。
「漁に行て泊る義」???? ……ちょっと良くわからないので詳しく解釈することはスキップさせてください。
永田地名解には次のように記されていました。
Mak ru ushi マㇰ ル ウシ 後路(ウシロミチ) 幕西町ト稱ス昔後背即チ外海ニ行ク小路アリシ故ニ名ク今ノ土人「マクヌーシ」ト呼ブハ轉訛ナリ
mak-ru-us-i で「奥にある・道・ある・もの(川?)」と読めそうでしょうか。makun ではなく mak というのがちょっと不思議な感じがしますが、makun が一部省略されて mak になったと考えられるかもしれません。
一方で、知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」には少し違う解が記されていました。
(三八) マクニシ(幕西)。原名「マクヌシ」(Makúnusi)。語原「マクン・ニウシ」(<Makún-niusi〔後方の・森林〕)。「ニウシ」(<ni-us-i〔木・群生している・所〕)。
あ、こっちは makun ですね。makun-ni-us-i で「奥にある・木・多くある・ところ」と読めます。永田説への批判が無いのが少々残念ですが、ru が ni に転訛したと考えるよりは、最初から ni だったと考えたほうが自然かもしれません。
追直(おいなおし)
室蘭市役所のあるあたりから見て南(外海側)に「追直漁港」があります。現在は舟見町一丁目の南西にも漁港が広がっているようですが、元々は東側の「舟見町二丁目」の南にある岬のあたりの地名だったようです。「追直」で「おいなおし」と読ませるあたり、只者ではない感じがしますよね。
「東蝦夷日誌」には次のように記されていました。
ホンムイ(沙地)、ヲエナヲシ(遠見番所、臺場有)名義、昔し御目見蝦夷が日和待をして遊びし處也と。又ヲは在る、イナウシにて木幣多き義にも取なり。其上に山有、形ち富士の如し。
どうやら、ここで言う「ヲエナヲシ」が現在の「追直」のことのようです。「日和待をして遊びし處」か、あるいは「木幣多き義」のどちらかではないか、とありますね。
永田地名解には次のようにありました。
Oina ushi オイナ ウシ 女ノ歌ヲ歌ヒシ處 土人等松前家ニ謁見ノ途中此處ノ洞穴中ニ舟待セシトキ女夷ドモ浄瑠璃ヲ歌ヒシ處○オ、イナウ、ウシ即チ木弊處ノ義ニアラズト云
oyna-us-i で「物語を語る・いつもする・ところ」と解したようですね。「オイナ」は Oynakamuy を主人公とする口承文芸を意味するとのこと。oyna 自体が「オイナを語る」という意味の動詞になるようです。
永田方正は「木弊處ノ義ニアラズ」としましたが、一方で知里さんは次のように記していました。
(七六) オイナウシ(老名牛)。オイナオシ(追直)。原名「オイナウシ」(Oynausi)。語原「オ・イナウ・ウㇱ・イ」(<o-ináw-us-i〔そこに・幣・群立する・所〕)。古くここの岬の上(次項参照)に海神の幣場(ハシナウシ)があり、そこで祭なども行われたらしい。
うはー。真っ向から見解が割れましたね。知里さんは o-inaw-us-i で「そこに・木弊・多くある・ところ」ではないかと考えたようです。「ここの岬の上」というのが、どうやらこの場所みたいです。
ということで、今回も例によって永田地名解と知里さんの見解が割れたわけですが、「東蝦夷日誌」や永田地名解の見解については次のように記していました。
松浦日誌にヲエナヲシ(名義昔御目見蝦夷が日和待して遊びし処也)とあり、永田地名解に「女ノ歌ヲ歌ヒシ処」(土人等松前家ニ謁見ノ途中此処ノ洞穴中ニ舟待セシトキ女夷ドモ浄瑠璃ヲ歌ヒシ処)とあるのも、古くこゝで祭が行われらしいことを示す。
おやおや、これは上手に他の説を取り込みましたね。「武闘派」の知里さんにしては珍しい感じすらします。おそらく知里さんの説のほうが本来の由来に近いような気がするのですが、松浦武四郎以来の伝承も完全には否定出来ないので、今日のところは一旦両論併記としておこうかと思います。
ニラス岩
追直漁港の南側にある岩礁の名前です。今は防波堤の一部に取り込まれているようにも見えますが、元々は陸から離れた岩礁だったと思われます。
知里さんの「室蘭市のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。
(七八) ニラス。原名「ニラス」Niraš;Nirašu)。語原「ニ・ラス」(<ni-ras〔木・片〕;ni-rasú〔木・の片〕)。
ふむふむ。ni-rasu で「木・木片」だと言うのですね。ras あるいは rasu という語彙はちょっと目新しい感じがします。
海中の岩礁に「木片」というのも意味不明な感じがしますが、知里さんによると次のような伝説に由来する、とのこと。
伝説によれば、太古、創造神コタンカルカムイがこゝで木を伐っていたら木片が飛んで海中の岩になつたという。
更には次のような伝説もあったのだそうです。
また他の伝説によれば、昔二人の女が相対して寝たのが、この岩になつたという。岩の形が恰も二人の女が相対して寝ているかのように見えるので生まれた伝説であろう。
もはや木片も木っ端微塵な感じがしますが……(汗)。
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