舞鶴若狭道で敦賀に向かいます。福井県は高浜町にやってきました。カントリーサインは……えーと、なんでしょこれ。山と海と鳥とヨットと……手前の花がわからなかったのですが、「町の花」は「はまなす」とのこと。
舞鶴若狭道は、高浜町内は山手のルートを通り、しかも半分近くはトンネルで抜けてしまいます。このあたりの舞鶴若狭道の開通は 2003 年ですので、東日本大震災の影響は受けていないことになりますが、当初から高台基調のルート選定で、IC に至っては山の「向こう側」に設置したというのは先見の明がありすぎでしょうか。
「関屋トンネル」「高浜トンネル」そして「大飯トンネル」を抜けると「おおい町」です。このカントリーサインは……えーと(汗)。
そして、トンネルを出ると間もなく「大飯高浜 IC」です。国道 27 号から見て「山の向こう側」にある IC ですが、若狭高浜駅の近くからも別途トンネルを掘って(自動車なら)短時間で移動できるようになっています。
それにしても、大飯高浜 IC がなんでこんな内陸部に設置されたのか、何故なんだろう……という疑問が出てきてしまうのですが、名田庄方面からの利用も考えてのことなんでしょうか。
ここ十年ほどの変化
さて。高速道路を良く使う方なら、ここ十年ほどの間にあった大異変にお気づきかもしれません。一体何の話かと言いますと……
高速道路の看板の話です。他所ではまず目にすることの無い、俗に「公団ゴシック」とも呼ばれるこのユニークな書体が使われていたのですが……
ここ十年ほどでしょうか。「公団ゴシック」の看板を新たに目にすることがなくなり、代わりに「ヒラギノW5角ゴシック」が使われるようになりました。
公団ゴシックの興亡
ここで気になるのが、「公団ゴシック」が使われなくなったのがいつか、という話です。今回の例だと「舞鶴東 IC」が公団ゴシックで、開通が古いはずの「舞鶴西 IC」が「ヒラギノ角ゴ」になっていました。これでは何年ごろから「ヒラギノ角ゴ」が使われるようになったのかを判別するのは困難です。ところが……
大飯高浜 IC を過ぎたところで、決定的証拠を掴みました。「公団ゴシック」から「ヒラギノ角ゴ」に変更されたのは、小浜西 IC の開通後で、なおかつ小浜 IC の開通前と考えられそうです。
小浜西 IC の開通が 2003 年で、小浜 IC の開通が 2011 年とのこと。んー、「ここ十年ほど」という印象が間違っていないことは裏付けられたのですが、8 年も差があったとは計算外でした。えー、「公団ゴシック」が使われなくなったのは、とりあえず「2003 年から 2011 年の間」というトリビアが確認できたことになります(汗)。
小浜市(公団ゴシック)
ということで小浜市に入ります。このカントリーサインは「蘇洞門」と謎のお魚……でしょうか?
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International