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アイヌ語地名の傾向と対策 (626) 「清真布川・茂世丑・苗川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

清真布川(きよまっぷ──)

ki-oma-p
茅・ある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

幌向川の南支流で、室蘭本線の栗沢駅のあたりを流れています。ちょっと面白いのが上流部の支流の名前で、「由良川」「最上川」「加茂川」など、どこかで聞いたことがあるような名前が並んでいます。

栗沢町由良は「香川県山田村字由良」に由来するとのことですが、「最上川」は「最も上に位置していたこと」に由来し、「加茂川」に至っては香川県出身の農場主が「京都の加茂川にちなんで命名したもの」とのことで、それ以上の関係性は無さそうな感じでした。

なお、現在の栗沢駅のあたりをかつて「清真布」と呼んでいたのだそうです。ということで「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  栗 沢(くりさわ)
所在地 (石狩国)空知郡栗沢町
開 駅 明治 25 年 8 月 1 日(北海道炭砿鉄道)(客)
起 源 もと「清真布(きよまっぶ)」といったところで、アイヌ語の「キ・オマ・プ」(カヤのある所)から出たものであるが、昭和 24 年 9 月 1 日「栗沢」と改めた。栗沢はアイヌ語の「ヤム・オ・ナイ」(栗の多い沢)の訳語である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.76 より引用)

「栗沢」の由来までついていてお買い得感バッチリな感じですね(どこが)。本題の「清真布」ですが、ki-oma-p で「茅・ある・もの(川)」と読み解けそうですね。

茂世丑(もせうし)

mose-us-i
草を刈る・いつもする・ところ
(典拠あり、類型多数)

栗沢町(2006 年に岩見沢市に編入合併)東部の地名で、同名の川も流れています。典型的な「読めたら意味は楽勝」系の地名ですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

茂世丑 もせうし
 幌向中流に南から茂世丑川が入っていて,その川筋が茂世丑である。明治の地図ではその川にモセウシと仮名書きされていた。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.42 より引用)

地図によっては「モーセウシ」とありますね。「海が割れるのよ」でしょうか?(全く違います

道内諸地にモセウシ(mose-ush-i)の地名が多いが mose には「いらくさ」という意味と「草を刈る」という意味があって,いらくさ群生地であったか,草刈りをいつもする処であったか,伝承でもないと分からないのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.42 より引用)

あっ、言われてみれば確かに。田村さんの辞書や萱野さんの辞書を見ても動詞としての用法しか出てきません。mose-us-i を素直に解釈すれば「草を刈る・いつもする・ところ」と考えられそうです。

「いつも草を刈るところ」ですから、「草が多くあるところ」と解釈してもほぼ正解である……ということなのでしょうね。

苗川(なえ──?)

nay-e?
川・頭
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

岩見沢市東部に「萩の山スキー場」というスキー場がありますが、その近くを流れる川の名前です。かつて国鉄万字線の「上志文駅」が近くに存在していました。

「再篙石狩日誌」には、「ホルムイ」(幌向川)の支流の情報として、次のように記されていました。

 扨、此河源のことは当時誰も委細致せしものなきよし也。其大略ルヒヤンケとヤエタルコロ、イワクラン等に聞まゝを志るし置に、先川口より少し上り、ソコニタウシ、フシコベツウン、ユツケシ、ホトホブシベ等皆右の方、並びて向ひの方イチキシル、ヲチルケシ、セーセウシ等左りの方、ナヱ右の方相応の川のよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.180 より引用)

このあたりの聞き書き情報をベースに「東西蝦夷山川地理取調図」が描かれたと思われるのですが、「ホルムイフト」から伸びる川の情報は良くわからないことになっています。

実際には「幌向川」と、その支流である「幾春別川」が存在する筈なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「幾春別川」に相当する川が描かれていません。そのため、「イチキルシ」(市来知川)が幌向川の北支流になっていたりします(実際には幾春別川の南支流)。また「セーセウシ」という川名は「モーセウシ」のようにも思えますが、茂世丑川は幌向川の南支流なので、アイヌの流儀で言えば「右支流」とされるべきなんですよね。

「苗川」=「幌向川」説

ここまで眺めた限りでは、左右が逆であることを除けば、「ナヱ」は「苗川」のことと考えて相違無さそうにも思えます。唯一引っかかるのが「相応の川のよし」という一文で、現実の「苗川」は流長 2 km 程度のかなり小さな川なので、とても「相応の川」とは言えない、というところです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ナヱイ」という川が描かれていますが、少なくとも現在の「苗川」よりは大きな川として描かれています。また「ナヱ」あるいは「ナヱイ」という名前からは、奈井江川との共通性が感じられます。

少々大胆な仮説ですが、「ナヱ」あるいは「ナヱイ」は、現在の「幌向川」上流部を指すとは考えられないでしょうか。仮にそうだとすれば、この「ナヱイ」も nay-e(-etaye-pet)? で「{水源}(・引っ張る・川)」と考えられそうな気がするのです。

幌向川を遡ると、万字のあたりで南東から南に向きが変わります。このことを「水源が引っ張られた川」と呼んだのではないか……といういつもの強引な仮説です。

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