Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

アイヌ語地名の傾向と対策 (657) 「アノトロマ川・札足辺山・ヤシコワンナイ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アノトロマ川

ar-utur-oma-nay
もう一方の・間・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)

苫前町古丹別から古丹別川を東に遡ると「東川」集落がありますが、「アノトロマ川」は東川の少し手前(西側)で南から古丹別川に合流しています。

古丹別川の支流としては三毛別川の規模が圧倒的で、続いてチエボツナイ川も結構な規模ですが(両河川とも上流部にダムがありますね)、アノトロマ川はこれらの支流に次いで長い川と言えそうです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「アヌトルマ」という名前で描かれています。また「西蝦夷日誌」には「アヌトルマナイ」とあります。

「竹四郎廻浦日記」には少々異なる形で記録されていました。

ビバウシ、並びて右 サンケベツ、並びて左りの方 チヱホツナイ、しばし上りて右の方 ホロヒンナイ、アトロマツフ、ハンケヲトマフ、ベンケテカマフ、ルークシコタンヘツ、此処より山こし致し堅雪のせつはウリウセウシベツに到申すと。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.501 より引用)

どうやら「アトロマツフ」が「アノトロマ川」のことを指していると考えられそうです。

永田地名解にもちゃんと記載がありました。

Aruturu oma nai  アルト゚ル オマ ナイ  彼方ノ川

あー、なるほど。ar-utur-oma-nay で「もう一方の・間・そこに入る・川」と考えられそうですね。この ar- ですが、知里さんの「──小辞典」には次のように記されていました。

ar- アㇽ 対をなして存在する(と考えられる)ものの一方をさす;一方の;もう一方の;他方の;片方の;片割れの。── n や r の前では an- になり,t や ch の前では at- になる。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.7 より引用)

ar-utur- の場合、ar-an- に転訛する「条件」は満たしていませんが、「アルトゥルマ」がいつしか「アノトロマ」に変化した、ということなんでしょうね。

三毛別川とアノトロマ川の間に「愛鳥山」という山があるのですが、この名前ってもしかして「アノトロマ川」から来ていたりするのでしょうか……?

札足辺山(さったるべ──)

sat-taor-pet??
湿原・川岸の高所・川
(?? = 典拠なし、類型あり)

苫前町東川集落の東、オペタルナイ川の北に位置する山の名前です。「さったるべ」という響きはいかにもアイヌ語っぽい雰囲気が漂いますが、意味するところは今ひとつ良くわかりません。

明治時代の地形図を見ると、札足辺山の南西を「シヤウパラポキコマナイ」という川が流れていることになっています。札足辺山の西には窪地があって沼(湿地かも)があるようですが、その南側を流れる川のことと思われます。

「シヤウパラポキコマナイ」をそのまま素直に読み解くと、so-para-pok-ka-oma-nay で「滝・広い・陰・かみて・そこに入る・川」あたりでしょうか。この解釈からは、むしろ札足辺山の西の沼?から流れる、弓なりにカーブした川のことを指しているようにも思えます(なんとなくですが)。

「札足辺」は山の名前ですが、本来は西側の沼のことを指していた可能性もあるのではないかな、と感じています。sar-taor(-oma)-pet で「湿原・川岸の高所(・そこに入る)・川」という解釈ができるかもしれません(音韻変化で sat-taor-pet となります)。

ヤシコワンナイ沢

u-san-kus-pir-nay??
互い・山から浜に出る・通行する・傷・川
(?? = 典拠なし、類型あり)

「オペタルナイ川」の合流点から更に古丹別川を遡ると、「錐立山」の西で同じく南支流の「ヤシコワンナイ沢」が合流しています。

この「ヤシコワンナイ沢」ですが、明治時代の地形図には「ヤシコウンナイ」と描かれているように見えます。では「東西蝦夷山川地理取調図」はどうか……と思って見てみたのですが、なんと「ウシヤムクシヒナイ」とあります。

「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

其源の事を記に、カムイコアンナイ(左川)、アヌトルマナイ(右川)、ウシヤムクンヒンナイ(右川)、ポロヒンナイ(左川)、爰より左を上るや、ハポロ〔羽幌〕川筋に越、右股モウコタンベツ、中川を上りホリカコタンペツ(右川)、ルウクシコタンベツ(右川)、従雨龍に越ると。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.263 より引用)

ということで、「西蝦夷日誌」では「ウシヤムクンヒンナイ」のようです。u-sam は「互い・のそば」となりますが、ここは u-san-kus-pir-nay で「互い・山から浜に出る・通行する・傷・川」と解釈したほうが良さそうでしょうか。pin-nay で「傷・川」というのは「細く深い谷川」のことです。

ちょいと余談ですが、「三毛別」の解で san は「棚山」とも読めるのではないか、という話がありました。この「ヤシコワンナイ沢」こと「ウシヤムクンヒンナイ」あるいは「ウシヤムクシヒナイ」も、o-san-ke-us-pin-nay で「河口・棚山・のところ・ついている・傷・川」と考えられなくも無いのかもしれません。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International