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アイヌ語地名の傾向と対策 (664) 「セタキナイ川・モセタキナイ川・白茶内山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

セタキナイ川

setakko-nay
ずいぶん長い間・川
(典拠あり、類型あり)

初山別川の南部を流れる川の名前で、直接海に注いでいます。2 km ほど北側を「モセタキナイ川」と「モセタキナイ南川」が流れているのですが、面白いことに「東西蝦夷山川地理取調図」には「モセタキナイ」と「セタキナイ」が左右逆に描かれています。「再航蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」には現在の順序通りに記されているので、「東西蝦夷山川地理取調図」のミスっぽい感じでしょうか(まぁ、割とある話です)。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

過てセタキナイ(小川)、名義、セタツコは長ゐとの義、見た處は短かけれ共、歩行けば長いとの義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.272 より引用)

おや……随分と珍しい解が出てきましたね。少なくともこれまで記憶にない語彙が出てきたようです。setakko-nay で「ずいぶん長い間・川」と言うのですが、曰く、「一見短そうだけど実際に歩いてみるとめっちゃ長い川」なのだとか。なんじゃこりゃあ® と思って地図を眺めてみると、確かに「第一栄」集落の奥でクランク状に流れの向きが変わっていて、なるほどこれは遠目には勘違いしても不思議は無さそうです。

永田地名解にも次のように記されていました。

Se takko nai  セタㇰコ ナイ  長キ間ノ川 之ヲ望メバ短キガ如クナレドモ歩メバ長シ故ニ名ク勇拂郡ニ「イルシユカペド」アリ怒ルノ義 通行ノ人道ノ長キヲ怒ルヨリ名クト「セタキナイ」ト云フハ訛ル

どうやら「西蝦夷日誌」の解をそのまま追認したような感じですね。ただ、かなり珍しい解なので、もう少し「ありそうな解」が無いか、念のため考えてみました。

「ゴボウ」を意味する seta-kina という語彙があるので、{seta-kina}-o-i あたりで「{ゴボウ}・多くある・もの(川)」と解釈できそうな気もします。ゴボウ群生地であるという情報を知られたくないが故に、インフォーマントが「ずいぶん長い間の川」という謎な解をでっち上げた……という可能性も考えてみたのですが、さすがに考えすぎでしょうか。

モセタキナイ川

mo-{setakko-nay}
小さな・{ずいぶん長い間・川}
(典拠あり、類型あり)

初山別村第二栄のあたりを流れる川の名前です。南側を「モセタキナイ南川」が流れていて、国道 232 号の橋のすぐ手前で合流しています。内陸側を通っていた旧・国鉄羽幌線は、モセタキナイ南川とモセタキナイ川をそれぞれ別の橋で越えていたようです。

前述の通り、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「モセタキナイ」という名前の川が描かれています(但し「セタキナイ」と左右が逆になっています)。「西蝦夷日誌」と「竹四郎廻浦日記」にも「モセタキナイ」の記載があり、また「再航蝦夷日誌」には「ムセタキナイ モセタキナイ也」と記されています。

隣に「セタキナイ」が存在する以上、「モセタキナイ」は mo-{setakko-nay} と考えるほか無いでしょう。「小さな・{ずいぶん長い間・川}」となろうかと思いますが、「セタキナイ川」で見られた「一見短そうだけど実際に歩いてみるとめっちゃ長い川」という特性を有するかと言われると、若干びみょうな感じもします(故に seta-kina 説を検討したり)。

まぁ、「モセタキナイ川」も上流部で肘を曲げたようなカーブがあるので、見た目よりも奥が深いと言えなくは無いのですが、本家「セタキナイ川」ほど「嘘やろー」感が少ないのも確かです。故に mo- で「小さな」なんだよ、と言われたら返答の余地は無いのですけどね。

茶内山(しろちゃない──)

sir-o-cha-nay?
地・にある・細枝・川
sir-o-cha-nay??
大地・そこで・切る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

初山別村第三栄集落の南側を「栄南川」という川が流れているのですが、この「栄南川」を遡った先(東側)に「白茶内山」が存在します。「内」は nay に由来するケースが少なからずありますが、「白茶内」も同様で、元々は「白茶内山」の西側を「シロチャナイ」という川が流れていたことに由来する山名だと考えられます。明治時代の「北海道地形図」を見た感じでは、現在の「栄南川」が「シロチャナイ」だった可能性が高そうです(が、断言はできません)。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シロチヤナイ」という名前の川が描かれています。一方で「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(二丁五十間)モセタキナイ、(十九丁十間)ヲンネシロチヤナイ、(幷て)シロチヤナイ(小澤)、此邊惣て赤崩岸にて、埋れ木多く出たり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.272 より引用)

「ヲンネシロチヤナイ」と「シロチヤナイ」が併記されているのは興味深い話で、現在の「栄南川」と「栄北川」が、それぞれ「ヲンネシロチヤナイ」と「シロチヤナイ」に相当する可能性もありそうです。

また、「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

小川幷て
     ヲンネシロチヤナヰ
ヲン子チロチヤナイと云也。小川有。越而直于
     チロチヤナイ
チロチロナイと云。此処小川有。皆砂浜。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻吉川弘文館 p.94 より引用)

「武四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     セタキナイ 小川
     モセタキナイ 小川
     ヲン子シロチヤナイ 小川
     シロチヤナイ 小川
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.512 より引用)

どうやら「シロ」という記録が多いようですが、「再航蝦夷日誌」には「チロ」と言う記録も散見されます。

永田地名解にも以下のように記載がありました。

Onne shir'o cha nai        オンネ シロ チャ ナイ  埋木ノ大川 埋木アル大川ノ義
Shir'o chanai,=Shiri-o cha nai  シロ チャ ナイ      埋木川 此辺赤崖ニシテ埋木多ク出ヅ故ニ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.405 より引用)

sir-o-cha-nay で「地・にある・細枝・川」と解釈した……ということでしょうか。どことなく引っかかるものがあるので少し考えてみたのですが、sir-o-cha-nay で「大地・そこで・切る・川」と読めなくもないかな……とも思えてきました。

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