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イキタライロンニエ川
幌内川の西支流で、途中まで道道 49 号「美深雄武線」が川沿いを通っています。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川が描かれていませんが、明治時代の「北海道地形図」には「イキタライロン子」という名前の川が描かれていました。
少々不思議なことに、この「北海道地形図」には現在の「ペンケオロピリカイ川」と思しき川のところに「モイロン子」と描かれていて、また「パンケオロピリカイ川」のところには「ヤム」と描かれていました。
「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘンケヲロヒリヤイ」(ママ)という名前の川が描かれていて、この記録が現在の「ペンケオロピリカイ川」の元になっていると思われるのですが、別に「モイロンネ」と呼ぶ流儀があった、ということになるのでしょうか。
道内の地名を見ていると、松浦武四郎の記録でほぼ全ての地名が網羅されている(ように見える)ケースが少なくないのですが、雄武町では松浦武四郎の記録には出てこない、アイヌ語由来と思しき地名が散見されることに気づきます。今回の「イキタライロンニエ川」もその類で、松浦武四郎も永田方正も記録に残していない地名(川名)と言えそうです。
ただ幸いなことに、NHK 北海道本部・編の「北海道地名誌」に記載がありました。
イキタライロンニエ川 幌内川上流左支流。意味不明。
……。
JR 石北本線に「生田原」という駅があります。知里さんの「植物編」によると、「チシマザサ」を意味する語彙の中に、次のようなものがあるとのこと。
(1) huru(葉)
(2) huru-amam(種実)
(3) huras(枝葉)
(4) uras(枝葉)
(5) urasam(葉)
(6) uripe(種実)
(7) kamuy-amam(種実)
(8) hutat(葉)
(9) iktara(茎)
(10) ikitara(茎)
(11) ikutara(茎)
(12) yayan-top(枯茎)
かなりバリエーションが豊富ですが、日本語でも「竹」「笹の葉」「タケノコ」などの語彙があるので、選択肢が多くなるのも当然なのかもしれません。
これらの中で「イキタライロンニエ川」と関連がありそうなものは、次のあたりでしょうか。
(9) iktara(ík-ta-ra)「いㇰタラ」[ik(節)tara(連續している)] 莖 《C, p. 459 北見國紋別郡》
(10) ikitara(i-kí-ta-ra)「イきタラ」[iki(その節)tara(連續している)] 莖 《美幌,阿寒》《C, p. 337 釧路國阿寒郡,p. 375 根室國野付郡》
(11) ikutara(i-kú-ta-ra)「イくタラ」[同上] 莖 《美幌》
「イキタラ」は(10)ですが、「イキタライロンニエ川」の場所を考えると(9)の iktara だと考えるのが自然でしょうか。となると後は「イロンニエ」ですが、これは「イロン子」で ironne だと考えて良いかと思います。iktara-ironne で「笹・深い」と解釈できそうです。
川の名前ですから、おそらく -pet か -nay をつけるのが正式な名前だと考えられます。「イキタライロンニエ」は iktara-ironne-nay で「笹・深い・川」だった可能性もあるかもしれません。
オロウエンポロナイ川
幌内川の上流部で合流する北支流の名前です。国土数値情報では「オロンウエンポロナイ川」とされています。
「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲロウエンホロナイ」という名前の川が描かれています。但し「ヘンケヲロヒリカイ」(現在の「ペンケオロピリカイ川」と考えられる)よりも下流側で幌内川と合流するように描かれているなど、少々疑わしいところがあります。合流位置と川の規模を考えると、「ヲロウエンホロナイ」は現在の「オシトツナイ沢川」に相当する可能性もありそうです。
明治時代の地形図には現在の位置に相当する場所に「ウエンポロナイ」という名前の川が描かれていました。また永田地名解にも次のように記されていました。
Oro wen poro nai オロ ウェン ポロ ナイ 川中惡シキ大川
「竹四郎廻浦日記」にも「ヲロウエンホロ」という記録がありますし、やはり oro-wen-{poro-nay} で「その中・悪い・{幌内川}」と考えるしか無さそうな感じです。
ピヤシリ湿原
名寄市と上川郡下川町、そして紋別郡雄武町の境界に「ピヤシリ山」が聳えています。ピヤシリ山の西南西を「ピヤシリ川」が流れていて、川の北側斜面には「ピヤシリスキー場」もあります。
アイヌ語の山の名前は、山の近くを源流とする川の名前に由来することが多いのですが、「ピヤシリ川」はどうやら「プイタウシナイ」だったようで、逆に「ピヤシリ山」の名前が川に転用されたと考えられます。となると残る可能性は「① 別の川の名前が山に転用された」か「② ピヤシリ山は川の名前とは関係しない」のどちらかに絞られてきます。
「ヒツヒエウシ」説の限界
以前に「ピヤシリ山」の名前を検討した際には、名寄川の支流である「新生川」がかつて「ヒツヒエウシ」(または「トツトエウシ」)と呼ばれていたことから、pitche-us-i(「剥げている・いつもする・もの(川)」)という川名が山名に転用されて pitche-sir(「剥げている・山」)になったのではないか、との仮説を考えてみました。
ただ、現在の「新生川」が「ヒツヒエウシ」あるいは「トツトエウシ」ではないかと考えていましたが、明治時代の地形図での「トツトイシナイ」の位置を精査すると、現在の「拓文川」が「トツトイシナイ」に相当する可能性が高くなりました。
「シアッシリ山」との関連
……ということで、要は「ピヤシリ」の語源を「ヒツヒエウシ」に求めるのは厳しいかな、と思えてきました。ここで思い出したのが、「ピヤシリ山」「ピヤシリ湿原」の北北東に位置する「シアッシリ山」です。どうやら si-yas-sir で「大きな・削られた・山」ではないかと考えられるのですが、-yas-sir の部分がそのまま「ピヤシリ」にも応用できるのではないか……という話です。
まず pis-yas-sir で「浜側・削られた・山」と考えてみました。「シアッシリ山」と比べて「ピヤシリ山」が「浜側」というのはなかなか強引な考え方ですが、天塩川を起点に考えてみると……やっぱり強引すぎるでしょうか(汗)。また、知里さんの「アイヌ語入門」の「音韻変化」の項によると pis-yas-sir は pis-(y)as-sir に変化すると考えられるので、これだと「ピサシリ」になってしまう可能性があります。
となるとやはり pi-yas-sir で「小石・削られた・山」と考えるしか無いのか……と思ったのですが、あれだけの山の名前に「小石」というのもちょっと引っかかるものがあります。
「子である・削られた・山」説
もっと素直に「シアッシリ山」との関係を重視するならば、si- の対格となる語彙が入ると考えるべきだったかもしれません。「ピヤシリ」から考えると、やはり pon-(「子である」)でしょうか。pon-yar-sir で「子である・削られた・山」となりますが、音韻変化を考慮すると poy-yas-sir となります。
poy-yas-sir は「ポィヤシㇽ」あたりになろうかと思いますが、長い年月をかけて poy の o が落ちて py になった……と考えてみたいです。
あ、すっかり「ピヤシリ山」の解の再検討の場になってしまいましたが、「ピヤシリ湿原」は「ピヤシリ山」から暖簾分けされた地名だろう……と考えて良いかと思います。
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