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「日本奥地紀行」を読む (119) 湯沢(湯沢市) (1878/7/19)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十信」(初版では「第二十五信」)を見ていきます。

大火

翌朝、イザベラ一行は北上して「湯沢」(秋田県湯沢市)に向かいました。

 翌朝、杉の大きな並木の下の泥道を進み、電柱がなくなっているのを残念に思いながら馬で九マイル行くと、ソワに着いた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.237 より引用)

ところで、なぜ電柱がなくなっているのを残念に思ったのでしょう……。確かに noticing with regret that the telegraph poles ceased とあるのですが、なぜ後悔したのか良くわからないですよね。

これは人口七千の町で、しゃくにさわる遅延がなかったならば、院内ではなくて、ここに宿泊するはずであった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.237 より引用)

「しゃくにさわる遅延」とありますが、これはトラブルがあったと言うよりは、そもそも計画に無理があった(楽観視しすぎた)と見るべきでしょうか。計画では人力車で移動する筈だったのが、場所によってはイザベラ自身が人力車を押す羽目に陥っていました。とは言え、なにしろ「未踏紀行」ですから、見通しの甘さを責めるのは酷と言うものでしょう。

そして、イザベラの「引きの強さ」が妙な形で発揮されます。

ここへ来てみると、数時間前に火事があって七十戸焼失したという。その中には私の泊まるはずの宿屋もあった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.237 より引用)

イザベラは前日に湯沢への移動を断念していたおかげで、火事に巻き込まれずに済んだ……ということになりますね。当時の消火技術はかなり貧弱なものだったので、一度火を出してしまったら集落を全て燃やし尽くすことが多かったと思われますが……

家屋がもと建っていた地面からは、まったく何もかも消えてしまい、ただ細かい黒い灰があるだけであった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.237 より引用)

……ああ、やはり。昔は大火の延焼を防ぐために、わざと火を起こして「焼け跡」にすることで「火防線」を設けるくらいしか手の打ちようが無かった、なんて話もあったと聞きます。

安全な蔵

イザベラは、そんな焼け跡になった湯沢の町にやってきて、ある発見をします。

その灰燼の中に黒くなった蔵が建っていた。ある場合には少しひび割れがあったが、すべて無傷であった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.237 より引用)

「蔵」に「耐火金庫」相当の機能があるという話、以前にも上山に宿泊した際に言及がありましたが、イザベラはここでついに実見することになった、とも言えますね。

なお、「七十戸が焼失」という大火に見舞われたものの、幸いにして人的被害はそれほど大きなものでは無かったようです。

酔っぱらいが一人死んだだけで、だれも生命をおとす者がなかったが、私が泊まっていたら、きっとお金以外はすべて失ったことであろう。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.237 より引用)

あの……イザベラさん? ちょっと仰っている意味がわからないのですが……。ということで原文を確かめてみたところ……

No life had been lost except that of a tipsy man, but I should probably have lost everything but my money.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

あっ……(察し)。高梨さん、「だれも」は「他にはだれも」にすべきだったでしょうか……。残念ながら犠牲者ゼロとは行かなかったものの、でも最小限には抑えられたのかな、と思わせます。

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