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「日本奥地紀行」を読む (163) 碇ヶ関(平川市) (1878/8/1(木))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十八信(続き)」(初版では「第三十三信(続き)」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

乏しい気晴らし

碇ヶ関に到着したものの、折からの豪雨で「平川」を渡る橋が落ちてしまい、イザベラはまたしても足止めを食うことになってしまいました。

 私がこの土地で気晴らしにやることは、ほとんど尽きてしまった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行平凡社 p.311 より引用)

そりゃそうだろうなぁ……と思わせますが、碇ヶ関でのイザベラのアクティビティは思った以上に多岐にわたるものでした。

それは、川の水がどれほど下がったか、毎日三度見に行くこと。それからまた私は宿の亭主や村長コーチョーと話をする。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

この辺は至極当然な内容でしょうか。

子どもたちが遊ぶのや屋根板を作るのを見る。おもちゃや菓子を買って、それをくれてやる。一日に三度、たくさんの眼病の人に亜鉛華目薬をつけてやる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

橋が落ちてしまって「孤立した」碇ヶ関ですが、商店でお菓子を買い求めることはできたのですね。「亜鉛華」は「酸化亜鉛」のことで、炎症をやわらげる効果があるとのこと。イザベラは碇ヶ関で四日間足止めされることになるのですが、「亜鉛化目薬」の点眼は「三日間のうちにすばらしい効き目があった」と記しています。

料理、糸紡ぎ、その他に台所ダイドコロでやる家庭の仕事を見る。実際に家の中に住んでいる馬に、乾草ではなく青い草の葉を食べさせるのを見る。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

この辺は、イザベラお得意の「社会見学」のようですね。

それから癩患者たちを診る。彼らはその恐ろしい病気を治療とまでゆかなくとも抑えることができると思っている鉱泉があるので、ここにやってきているのである。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

癩病に効能がある(と信じられている)鉱泉がある(あった?)のですね。現在も「碇ヶ関温泉会館」という施設があるみたいですが、関連が気になるところです。

そして、ベッドに横になって縫い物をしたり、『アジア協会誌』の論文を読んだり、青森に至るあらゆる可能な道筋ルートを調べたりする。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

イザベラは論文も携帯していたのですね。「奥地紀行」ではありますが、よく考えると「極地紀行」では無いですし、(折りたたみベッドをはじめとした)荷物は駄馬や人夫に運ばせていたので、我々が思っている以上にいろんな荷物を持っていた、と考えたほうがいいのかもしれませんね。

「青森に至るルートを調べる」というのは「え、今頃?」と思わないでも無いのですが、最適な道筋を調べるのはこれまでも現地で行っていたんでしたね。今回は豪雨の影響もあるので、今まで以上にいくつかのルートを想定する必要があったのかもしれません。

目薬をつけてやるので、村の人々は私にたいそう親切になった。私にみてくれと多くの病人を連れてくる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

イザベラが眼病患者に点眼したのは、地元民の人気を得るためでは無かったのでしょうけど、そのことが元で慕われたのは悪い気がしなかったでしょうね。イザベラは村人が連れてきた病人について、次のように記しています。

その大部分の病気は、着物と身体を清潔にしていたら発生しなかったであろう。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.311 より引用)

やはり衛生面の問題が大きい……と見ていたようですね。

日本の子ども

イザベラは碇ヶ関の子どもたちにおもちゃや菓子を買い与えていましたが、これも純粋に子どもたちへの愛情によるものだったようです。

 私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行平凡社 p.312 より引用)

この評価は手放しで喜ぶべきものか、今となっては少々疑いも残るのですが……。

日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

これ、なんですよね。いかにも封建的な「過去からの因習」によって、子どもたちが抑圧されていたが故の結果とも取れますし、おそらくその見立ては間違ってないと思えるのです。

英国の母親たちが、子どもたちを脅したり、手練手管を使って騒したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

これは現代の日本では普通に見られる光景となりつつあるでしょうか。子どもの権利をきちんと尊重するならば、こうなるのが普通のような気もします。程度の違いはあるかもしれませんが、まだまだ古臭い考え方が染み付いているが故、なのかもしれません。

イザベラは、子どもたちが「自分たちだけで面白く遊べるように」「いろいろな遊戯の規則を覚えている」ことにも感心していたようです。こういった「遊戯の規則」にはローカルルールが存在することも少なくないのですが……

規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

いかにも「昔の日本」っぽい雰囲気が漂っていますね。昭和の頃には「ガキ大将」というポジションが存在していたと思うのですが、そういえば今はどうなんでしょう。年長の子が年少の子の「面倒を見る」という行為自体は存在していると思いますが、昔と比べるとその行為はより事務的になっているのでは……と思ったりもします。

子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

これは子どもの数が多く、また大人にそれだけの余裕が無かったということなのでしょうね。

イザベラは子どもたちに菓子を買い与えていましたが……

しかし彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

うーん。正しいと言えば正しい判断なのですが、子どもの自律性が極限まで損なわれているようにも思えます。これじゃあまるでロボットのような……。

許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子どもたちに菓子を手渡す。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

これは手放しで「良い風習」と呼べそうですね。共同体の中での「富の分配」は重要なので……。

子どもたちは実におとなしい。しかし堅苦しすぎており、少しませている。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.312 より引用)

イザベラは異様に「行儀の良い」日本の子どもを愛でながらも、微かな違和感をおぼえていたのかもしれません。

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