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紀勢本線各駅停車 (18) 「南部・芳養」

岩代を出発すると、右手には再び海が見えてきました。浅い海の底に石が転がっているのが見えます。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

そして今度は綺麗な砂浜が見えてきました。Google Map によると、この海岸は「千里海岸」と言うとのこと。海岸の奥には岬が見えますが、これは「目津崎」というのだそうです。

2 本のトンネルを抜けて海沿いを離れて、南部みなべ町の中心部に向かいます。

南部駅

駅の手前には踏切があるのですが、歩道橋も併設されていました。踏切があるのに何故……と思いたくなりますが、踏切を渡るのに健常者よりも時間がかかる人もいるわけで、そう考えると歩道橋の存在も十分な意義があります。

ところが、Google ストリートビューで現況を確かめたところ……

なんと歩道橋は影も形もありませんでした。老朽化したので撤去した……とかでしょうか。歩道橋の維持管理にもコストがかかるということかもしれませんが……。

南部駅のホームが見えてきました。毎度おなじみ 2 面 3 線の「国鉄型配線」の駅です。

南部駅の駅舎も開業当初のものを大事に使い続けているものでしょうか。どの駅もデザインがそっくりで、質実剛健な感じがしますね。

名所案内には横綱級である「南部梅林」と並んで「千里の浜」も紹介されていました。熊野古道で唯一の「海岸を通るルート」で、アカウミガメの産卵地としても知られるとのこと。

(歓) 南部梅林 (迎)

ホームには木製のベンチが向かい合わせに置かれていました。駅舎には梅の花をイメージした壁画?も見えます。

改札の近くには御坊駅でも見かけた「徳川吉宗公 将軍就任三百年」の幟が。

2・3 番のりばから出口に向かうには跨線橋を渡ることになるのですが、跨線橋の入口に「(歓) 南部梅林 (迎)」の文字が。跨線橋に向かう時点で歓迎されるのは凄いなぁ……と思ったのですが、よく見たら 1 番のりばから 2・3 番のりばに向かうところにも同じ文字が。

南部駅のホームは 9~10 両分ほどあるようですが、ホームの端のほうは下が中空の構造になっています。後年になってから延伸されたっぽい感じですね。南部駅箕島駅・藤並駅・湯浅駅と同じく特急「くろしお」の約半分が停車するのですが、特急停車駅になる際に延伸したのでしょうか。

複線化に伴うルート変更

南部駅を出発すると、すぐに県立南部高校の前を通るのですが、紀勢本線は(おそらく複線化に伴って)この先で大きくルート変更されています。

この緩やかな右カーブが線路跡の筈なのですが、この区間が複線化されたのは 1978 年のことだそうなので、2022 年時点で既に 40 年以上前ということになるんですよね。今では単なる「線形の良い道路」になってしまったようです。

複線化された区間は最も長い「第三芳養はやトンネル」を含む 5 つのトンネルで直線的に結ばれていて、トンネルを抜けると田辺市です。橋脚が見えますが、これは阪和自動車道ではなく国道 42 号バイパスの「芳養高架橋」のようです(現在は開通済み)。

芳養駅

駅の手前には保線用車輌の車庫がありました。屋根と壁のある本格的なものです。

芳養はや駅のホームと駅舎が見えてきました。ホームに謎の切り欠きがありますが、これは防火水槽か何かがホームと接していることによる偶然の産物でしょうか。

芳養駅は 2 面 2 線の相対式ホームで、駅舎は海側にあります。これまた他の駅とそっくりのルックスですが、ホームの上屋が無い(待合スペースはホームより低いところにある)のでよりプリミティブな形と言えるでしょうか。

このあたりの紀勢本線の駅は全体的に白を基調としているのですが、これは少しでも光を反射して熱が籠もらないようにと考えたのかもしれませんね(もっと早く気づけよ、という話ですが)。

昔ながらの佇まいの芳養駅ですが、跨線橋はちゃんと設置されています。跨線橋は屋根のないシンプルなタイプです。

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