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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (3) 「世界で唯一の『ミール』」

ところで、C11 133 号機と同じ敷地内に「ミール展示館」があるのですが、「ミール」と言えば食事……じゃなくて、ロシアの宇宙ステーションの名前ですよね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。

入り口の横には「利用案内」が出ているのですが、なんと……無料ですか!

エントランスには「4 月の行事と休館日」というカレンダーが出ていました。この日は 4 月最後の日曜日、休館日の前日だったことになります。

本物の「ミール」が!

早速中に入ってみると……うわわわわっ!! こ、これは凄い……。

これは実物大の宇宙ステーション「ミール」の模型……ではなく、実物!です。

しかも機体には「МИР」と「СССР」の文字が! 「МИР」はもちろん番号ポータビリティーのことではなく、「ミール」ですよね。

街中に C11 133 号機がドドンと置いてあったのにもビビりましたが、建物の中にはなんと本物の「ミール」が……。種明かしをしておきますと、この「ミール」は「予備機」だったので、実際には宇宙に飛び立つことは無かったわけですが……(そもそも「ミール」自体が地球に帰還できる構造になっていない筈)。

「ミール」が打ち上げられたのは 1986 年だったんですね。まだゴルバチョフが大統領になる前で、もちろん「ソビエト連邦」が存在していた頃です。

機能拡張モジュール「クバント 1」

「ミール」の手前に見えていたのが「КВАНТ」で、これはロシア語で「量子」を意味するのだとか(英語だと quantum ですね)。

この「クバント 1」は「ミール」に接続して使用する「実験棟」だったとのこと。ただ実験機器・観測装置が設置されていただけではなく、酸素を発生させたり二酸化炭素を除去したりする生命維持装置や、ミール全体の姿勢制御を行う姿勢制御装置が備わっていて、実質的には「ミール」の機能拡張モジュールだったようです。

この「ミール」と「クバント 1」の予備機は 1989 年に名古屋で開催された「世界デザイン博覧会」に出品され、その後オークションに出されたとのこと。「よくある質問」には「ロシア連邦宇宙局が『ミール』の予備機をオークションに出品」とあるのですが、1989 年あるいは 1990 年であれば「ソビエト連邦」が崩壊する前で、「ロシア連邦宇宙局」は 2004 年 3 月に設立(改組かな?)されているので、明らかに計算が合わないんですよね……。

「ミール」と「クバント 1」の予備機を売り捌いたのが誰なのかは若干不明なところがありますが、ソビエト連邦が崩壊する少し前に日本に売却された……という可能性が高そうでしょうか [要出典] [独自研究?] ソ連の末期からエリツィン時代のロシアでは、国の資産が勝手に売り捌かれるという悲惨な状態だったのですが、それに待ったをかけたのがp(ry

ソ連が崩壊したりバブルが崩壊したりと空前の崩壊ブームの中、「ミール」と「クバント 1」の予備機は紆余曲折の末、苫小牧にやってきたのでした。

現存する「ミール」は苫小牧だけ!

今更ながらに繰り返しますが、「ミール」は「サリュート」とは異なり初号機しか存在しません(「クバント 1」も同様)。

2001 年に「ミール」が大気圏に突入してほぼ燃え尽きた後、現存する「本物の」ミールは世界中で苫小牧にしか無いんですよね。これってめちゃくちゃ凄いことなんですけど、なんか……その……過小評価されているというか、見過ごされているような感じが……。

世界の宇宙開発史においても極めて貴重な「遺産」なので、一度は見ておいて損はないと思うんです……。

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