やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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エトシナイ川
標津町と別海町の境界を「当幌川」が流れていますが、エトシナイ川は当幌川の河口(野付湾)から直線距離で 7 km ほど遡ったところで当幌川に合流しています(南支流)。
「東西蝦夷山川地理取調図」には当幌川が「トホロ」として描かれていて、その上流にはいくつもの支流が描かれていますが、逆に明治時代の地形図には支流の名前が殆ど記入されていません。唯一の例外が「エトシナイ」ですが、残念ながら松浦武四郎が記録した支流の中には見当たらないようです。
余談ですが、この川は地理院地図では「エトシナイ川」ですが、国土数値情報には「エトン ナイ川」と記録されているようです。
「北海道地名誌」には次のように記されていました。
エトシナイ川 当幌川の右小支流。意味不明。
あえて引用するまでも無かったですね(汗)。
「エトシナイ」という音は etu-us-nay で「鼻(岬)・ついている・川」あたりかな、と思わせます。エトシナイ川が当幌川に合流する地点が岬のようになっているので、そのことを指してそう呼んだのかな、という推測です。
これまた余談ですが、河口付近には「
飛雁川(とびかり──)
この川は何故か「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たらないようですが、明治時代の地形図には「トピカラプ川」と描かれていました。
「アナツバメ」説
「東蝦夷日誌」には次のように記されていました。
(二十五丁)トヘンチラピラ(平)、此處土燕 多く住故に此名有。
「ピラ」は pira で「崖」のことだと思われるので、残るは「トヘンチラ」ですが、知里さんの「動物編」には次のように記されていました。
§315. ショオドオツバメ Riparia riparia ijimae (Lönnberg)
(1) tóytumum-čikax(トイトムンチカㇵ)[<toy-tumum-čikap(土・中・の・鳥]《タラントマリ》
(2) topempira(トペンピラ)《チカブミ》ショオドオツバメ 神典 151
うーん。「トヘンチラ」ではなく「トペンピラ」っぽいですね。まぁ「鳥」は chir だったり chikap だったりするので、「トペンピラ」の「ピラ」を「チラ」と呼ぶ流儀があったのかもしれませんが……。
「竹を取る」説
今一つしっくり来ないままですが、永田地名解には次のように記されていました。
Top-ikarap トピカラㇷ゚ 竹ヲ取ル處 川上二派トナリテ竹多シ
永田地名解は「トペン
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。
松浦東蝦夷日誌は「トヘンチラピラ 此処土燕 多く住故に此名有」と記した。土燕とはショウドウツバメのことで、アイヌ語名では「トペンピラ topempira」という。小洞燕とも書き小さいほら穴をつくって群棲する。中標津町ムサ川の支流クテクンペツ川上流にも生息している。
ふむふむ。まだ続きがありまして……
永田地名解は「トピカラプ Topi-karap 竹を取る処。川上二派となりて竹多し」と記した。
手元にある永田地名解では Top-ikarap となっていて「あれ?」と思ったのですが、topi-karap であれば確かにありそうな感じです。更に続きがあるのですが……
トㇷ゚・力ㇽ・プ「top-kar-p 竹・刈る・もの(川)」と解したのであろうが、湿原を流れているこの川筋には、チシマザザやクマイザサが生育しているとは思われない。
topi-kara-p であれば「その竹・刈る・ところ」と読めそうな気もしますが、それだったら topi-kar-pe となりそうな気もしますし、これまた違和感が残ります。
どちらが無難か
松浦説と永田説、どっちの解釈が違和感が少ないか……という話になってしまうのですが、やはり松浦説が無難でしょうか。topenpira-pira で「小洞燕・崖」と考えたいところです。
コムニウシ川
「柏の木」は実在したか
永田地名解には次のように記されていました。
Kom ni ushi コㇺ ニ ウシ 槲多キ處 今ハ槲ナシ酒屋ノ處ハ即チ此地ナリ
まぁ {kom-ni}-us-i で「{柏の木}・多くある・ところ」ですよね。
この川名について、鎌田正信さんは実地調査した上で次のように記していました。
永田地名解は「コㇺニ・ウシ komni-ushi槲 樹多き処。今は槲なし」と書いた。近くに手がかりがないのか思って歩いてみた。この川の九虫橋(コムニウシの当て字でウシが虫になった)から200㍍標津よりの国道ぶちに、ミズナラの林(15.6本)が見えた。さらに北上すると尾岱沼青少年村の林にも多くのミズナラを見ることできた。コㇺニは永田氏のいうとおり「カシワ」であるが、ミズナラもポロコㇺニと呼ばれコㇺニがついている。
「カシワ」ではなく「ミズナラ」じゃないか……という指摘ですが、確かに知里さんの「植物編」にも《美幌,屈斜路》の記録として pero-komni とあります。どうやら「ポロコㇺニ」じゃなくて「ペロコㇺニ」だったようです。
「九虫」と「コムニウシ」
コムニウシ川の河口には現在も「九虫橋」という橋がかかっていて、アルファベットで Kumushi Bri. と表記されています。これを鎌田さんは「コムニウシの当て字」としていますが……ここで「東蝦夷日誌」を見てみると(何故)
左りの方眺め行や(十五丁)ヲタエト(沙岬)、一すじ海中に突出す。(二丁)クムシ(小川)、是より崩岸まゝ添行、(二十五丁)トヘンチラビラ(平)、此慮土燕 多く住故に此名有。
なんと川名そのものが「クムシ」と記録されています。「コムニウシの当て字」ではなく「クムシ」を渡る橋だから「
「クムシ」は「クマ」か「コム」か
「クムシ」をどう考えるかですが、kuma-us-i で「横棒・ある・もの」か、あるいは kom-us-i で「曲がる・いつもする・もの」あたりでしょうか。kom-us-i は「どんぐり・多くある・もの」と読むこともできそうですね。
kuma-us-i の kuma は「横棒のような山」とも読めますが、地形図ではそれらしい山は見当たりません。ただ尾岱沼の東の野付湾内に「新所の島」という細長い島があり、これを kuma と呼んだ……という可能性もゼロでは無い……かな……と思ったりします。
「どんぐりが多い」については、ミズナラの落としたどんぐりが川に流されて集まった……という可能性がありそうですね。
問題は「曲がるもの」の可能性で、「コムニウシ川」は河口の直前で S 字カーブを描いています。このことを指して「曲がる・いつもする(繰り返す)・もの(川)」と呼んだ……と考えたいのですが、川が曲がるのは極々当たり前の話で、川のアイデンティティになるほどの曲がりかと言われると……。
知里さんの「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されているのですが、
kom, -i こㇺ ①鍋のつるの両端の曲り。 ②どんぐり;ナラやカシワの実。
川が鍋のつるのような曲がり方をしていた、とかでしょうか……(苦しい)。
あ、「クムシ」が「コムニウシ」に化けたのは、きっと永田方正の所為なんじゃないかと思っています。まぁ「良かれ」と思って -ni を追加したのかもしれませんが……。
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