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北海道のアイヌ語地名 (1016) 「ハッタリ川・恋問川・紅煙岬」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ハッタリ川

hattar
(典拠あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

根室の市街地の西側を流れる川です。国土数値情報では「ハッタリ川」が根室湾に注ぐとされていますが、地理院地図のベクトルタイル「自然地名」では「ハッタリ川」が旅館「二美喜にびき」の近くで「西月ヶ丘川」に合流して、「西月ヶ丘川」が根室湾に注いでいることになっています。

これは「ベクトルタイル」がやらかした……と考えるべきなんでしょうね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には何故か「ハッタリ川」に相当する川名・地名が見当たりません。ただ「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     コイトイ 子モロより四丁、ハツタラへ二十丁
     ハツタラ 十五丁
     アツケシヱト 十丁
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.424 より引用)

また「初航蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

     アツケシヱト
砂浜。出岬也。廻り而直于
     ヱルウシ
浜通りしばし行
     ハツタラ
沙浜少し山の方岡山。雑木立有るなり。越而
     コヱトイ
此処少し出岬。廻りて湾の方へ入りて小川有。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻吉川弘文館 p.421 より引用)

永田地名解には次のように記されていました。

Hattara   ハッタラ   淵 根室市街ト根室村ノ境に在ル川ナリ

どう見ても解に迷うことは無さそうなので、ここまで引用する必要も無かったような気もしますが……。素直に hattar で「」と見て良いかと思われます。共和町(後志総合振興局)の「発足」とは「兄弟地名」なんでしょうね。

恋問川(こいとい──)

koy-tuye
波・切る
(典拠あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

根室の市街地のほぼど真ん中を流れて、根室湾に注ぐ川です。イオン根室店(旧「ポスフール根室店」)の南のあたりを流れているようですが、地理院地図には川として描かれていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ユエトイ」と描かれていますが、これは「コエトイ」の誤字と見るべきなんでしょうね。

明治時代の地形図には「コイトイエ川」と描かれていました。これは釧路の「恋問」と同じく koy-tuye で「波・切る」と見るしか無さそうな感じでしょうか。

永田地名解には次のように記されていました。

Koi tuye   コイ ト゚イェ   浪越ナミコシ 浪ノタメニ潰ユル處ノ義ナリ今俗語ニ從ヒ浪越ト譯ス○彌生町一丁目櫻橋ノ邊ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解国書刊行会 p.366 より引用)

現在の恋問川は弥生町二丁目にある「桜橋交番」のあたりから道路の下を流れて、弥生町一丁目のあたりで根室湾に注いでいます。永田方正が記録した「桜橋」は交番の名前として今も健在なんですね。

根室の「恋問川」は、稚内の「声問」や釧路の「恋問」、苫小牧の「小糸魚(糸井)」と「兄弟地名」なんでしょうね(またか)。

紅煙岬(べにけむり──?)

pikew-moy?
小粒の石・湾
(? = 典拠あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

根室の市街地から道道 35 号「根室半島線」を北上すると、市街地を抜けたすぐ先(北浜町一丁目と北浜町二丁目の間)で「一番川」という川を渡るのですが、「一番川」の河口の 130 m ほど北北西に「紅煙岬」という岬があります。この岬、どうやら「べにけむり──」と読むらしく……。

この「紅煙岬」ですが、「初航蝦夷日誌」には「ヒンケウムイ」とあり、また戊午日誌「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

またしばし小笹原を来るや
     ヒンケウモイ
此処一ツの岬に成り、上に台場有。是え来れば子モロの会所元見ゆるなり。其地名の訳は崖の下長く小石が有る故に号るとかや、ヒンケウムイとは小石の湾と云儀。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.599 より引用)

突然ですが

ではここで問題です。上記引用文を参考に、ここまでの文章の矛盾点を述べてください(10 点)。

解答ですが、「ヒンケウモイ」と「ヒンケウムイ」で表記が揺れている……ではなく、「是え来れば子モロの会所元見ゆるなり」が変なのですね。現在「紅煙岬」とされている場所は北東に面しているので、ちょうど南西にある根室の市街地は見えない筈なんです。

改めて明治時代の地形図を眺めてみると、ふむふむなるほど。弁天島の北東にあたる「琴平町一丁目」のあたりに「ペニケウエイ岬」と描かれています。ここなら根室の市街地を一望できるので、松浦武四郎が記録した「ヒンケウイ」は根室港の北、現在の琴平町一丁目のあたりと考えるべきみたいです。

「小石の湾」?

「ヒンケウモイ」が「小石の湾」というのはちょっと理解に苦しむのですが、永田地名解にも次のように記されていました。

Pinnetke moi   ピンネッケ モイ   小石ノミアル灣 和人「ベニキムイ」ト呼ブハ非ナリ又「ビンヌクケモイ」(ヤチダモヲ取ル灣)ニモアラズ此邊「ビンニ」ノ樹ハナシ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.366 より引用)

うーむ……。そういえば「午手控」にも次のように記されていたんでした。

ヒンケウムイ
 崖の下長く小石有るが故、ヒンケウ(シ)ムイと云よし。ヒンケは小石のよし也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.366 より引用)

「ヒンケは小石のよし」とありますが、「地名アイヌ語小辞典」を見てみると……

pikew, -e【H】/-he【K】 ピけゥ【ビホロ;クッシャロ; K】小粒の石;バラス。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.94 より引用)

あっさりと答らしきものが出てきました(汗)。ふむふむ、pikew-moy で「小粒の石・湾」と考えられそうですね。

となると今度は永田地名解の「ピンネッケ モイ」が何なんだ……という話になるのですが、何なんでしょうこれ(汗)。pi-{not-kew}-moy で「小石・{岬}・湾」とかですかね……?

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