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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (145) 「十勝スピードウェイ」

十勝スピードウェイ」の「サウスゲート」にやってきました。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ここは「十勝スピードウェイ」の「サウスゲート」の筈ですが、ゲートの上には「TOKACHI INTERNATIONAL SPEEDWAY」の文字が。そう言えば以前は「十勝インターナショナルスピートウェイ」だったような気もしますが……

Wikipedia の「十勝スピードウェイ」の項目には、次のように記されていました。

北海道内唯一となる国際自動車連盟FIA)公認サーキットであり、5,100 m のグランプリコースを 3,400 m のクラブマンコースと 1,700 m のジュニアコースに 2 分割して使用する計 3 コースがあり、日本国内では例を見ないほぼフラットなコースレイアウトや 1,010 m あるストレート(グランプリコース・クラブマンコース)が特徴になっている。
Wikipedia 日本語版「十勝スピードウェイ」より引用)

道道 15 号「幕別大樹線」から十勝スピードウェイまでは上り坂がありましたが、十勝スピードウェイのあたりは台地の上でほぼ平坦な地形です。確かにサーキットとしては高低差が極めて少ないレイアウトに見えます。

「十勝インターナショナルスピートウェイ」の沿革

1988 年の航空写真では、このあたりは一面に畑が広がっていましたが、1994 年の航空写真では立派なサーキットが完成しています。Wikipedia の「沿革」にも……

1989 年(平成元年)に帯広建設業協会会員が中心となって「十勝モーターパーク」を設立し、1993 年(平成 5 年)5 月 5 日に総工費約 100 億円をかけた北海道内初となる国際サーキット「十勝インターナショナルスピードウェイ」(TIS)がオープンした。
Wikipedia 日本語版「十勝スピードウェイ」より引用)

うーん。時期的には……ちょっと嫌な表現をしてしまうと「バブルの残滓」だった可能性がありそうな感じですね。バブル期に建設された国際規格のサーキットと言えば、大分県上津江村(当時)の「オートポリス」があるほか、岡山県英田町(当時)の「TI サーキット英田」(現・岡山国際サーキット)が思い浮かびますが、それらに次ぐサーキットだった、ということになるでしょうか。

ところが、予想を超えた工費や会員権の販売不振によってオープン当初から経営が厳しく、1994 年(平成 6 年)には運営をインターランドに移し、賃貸事業のみを行ってきた。
Wikipedia 日本語版「十勝スピードウェイ」より引用)

あー。オープンが 1993 年ですから、既にバブルが弾けた後ですよね……。

その後も慢性的な赤字続きで債務超過に陥っていたため、複数企業との売却交渉を進めていたがいずれも成立せず、更別村への固定資産税滞納額も 3 億円を超えていた。
Wikipedia 日本語版「十勝スピードウェイ」より引用)

固定資産税の滞納……。単なる畑だったところが FIA 公認サーキットになって固定資産税でウハウハ……というシナリオも当然のように考えられていた筈ですが、これじゃあ「絵に描いた餅」じゃ無いですか……。

2009 年(平成 21 年)に水面下で行っていた所有権と事業譲渡の交渉が決裂したため、会社整理に向けた調査を始めて自己破産するに至った。負債総額は 100 億円を超え、十勝管内の倒産としては過去最大規模になった。
Wikipedia 日本語版「十勝スピードウェイ」より引用)

ああああ。でも、夢を描いて広大な大地に国際格式のサーキットを建設するも、夢やぶれて夢の跡……というのも、いかにも北海道らしいですよね。

現在は幸いなことに「MSF 株式会社」が施設を取得して営業を継続しているとのことですが、この「MSF 株式会社」は銀座にある会社で、Web ページのメニューは「モバイルアプリケーション」「十勝スピートウェイ」「自然エネルギー」が並んでいます。

「十勝モーターパーク」が自己破産し、MSF 株式会社が施設を取得した翌年の 2010 年に「十勝インターナショナルスピートウェイ」から「十勝スピードウェイ」に改称したとのこと。なるほど、それでゲートの上の文字が「TOKACHI INTERNATIONAL SPEEDWAY」のままだったんですね。

かつては「全日本ツーリングカー選手権」が 1997 年まで毎年開催されたほか、F3 や F3000フォーミュラ・ニッポンなどが開催されたこともあるようですが、「十勝インターナショナルスピートウェイ」の名を世間に知らしめたのは、やはり 1994 年から 2008 年まで行われた「十勝 24 時間レース」でしょうか。

自然エネルギー」の正体

ゲート前のフェンスには、施設のレイアウト図がありました。

レイアウト図は日本語と英語が併記されたもの……というよりは、むしろ英語が主体のものです。メインスタンドとオープンスタンド(芝生席?)で最大 76,000 人を収容する規模のもので、周囲には「P1」から「P9」まで、駐車場と思しきスペースが存在していました。

ただ、最新の航空写真を見ると……

……なるほど。「MSF 株式会社」の Web ページにあった「自然エネルギー」は、こういうことだったんですね。景観や植生を損なうという点で批判も多いメガソーラーですが、遊休地のマネタイズとしては現時点ではおそらくベストな選択なんですよね。

完成度高えなオイ

「P1」から「P9」の中では「P2」と「P7」だけがメガソーラーに転用されずに生き残っている感じですが……

「P7」のフェンスには何やら別の看板も。

「雪中 BIKE コース」とあります。手作り感のある看板ですが、「E」の字が落ちかかっているようにも見えます。多分本当に落ちかかっているのだと思いますが、デザイン的に完成度を増したような気も……。

全日本格式

看板レースだったとも言える「十勝 24 時間レース」が「十勝モーターパーク」の自己破産とともに事実上消滅し、「全日本」を冠するレースの開催も途絶えてしまった……ように見えますが、実は現在も年に一度「全日本ママチャリ耐久レース」が開催されています(レースの長さは 12 時間だったり 6 時間だったりまちまちのようですが)。

国際格式のサーキットで全日本の冠をつけたレースを開催しつつ、その裏で 1999 年からこんな緩いイベントを開催していたというのは、なかなか先見の明があったような……。

お邪魔しました

ということで、入場料は支払わずに「十勝スピードウェイ」を後にします。今にして思えば、1,000 円くらい支払っておくべきでしたね……(すいませんすいません)。

「サウスゲート」の門扉が半開きなのも、なんだか趣があるように思えてしまいますね。

来場時は右から入ってきたので、左折して別ルートで退出します。

右カーブを抜けて一区画(約 545 m)ほど走ると T 字路です。左折すると「さらべつカントリーパーク」で、右折すると「道道更別幕別線」とのこと。

右折するとすぐに次なる T 字路が見えてきました。道道 238 号「更別幕別線」に戻ってきたことになります。

【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ダストノイズ除去、フロントガラスへの映り込み除去

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