Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

幻のサーキット 「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」

横浜町のお隣の、野辺地町の海岸線に

青森県下北半島に位置する「横浜町」については、先日の記事で触れた通りなのですが、改めて場所のおさらいをしておきましょう。このあたりです。

さて、ずずずぃっとズームインしてみます。

横浜町下北半島陸奥湾側に位置します。太平洋側は六ヶ所村と、南側は野辺地(のへじ)町と境を接しています。上空からの写真を見る限りでは、東西どちらもまっすぐな砂浜が伸びている感じでしょうか。

何かが見えます

さらにズームインしてみましょう。

これは、ちょうど野辺地町側の海岸線です。何かが見えるような気がします(← またか)。

むつ湾インターナショナル・スピードウェイ

そして、その「何か」をプロットしてみたのがこちら。

そう、どうやら、かつてここにサーキットがあったらしいのですね。

むつ湾インターナショナル・スピードウェイは、1970年代に青森県野辺地町にあったサーキット場である。

日本におけるオーバルコースと言えば、栃木県の「ツインリンクもてぎ」が有名ですが、なんと 1970 年代にオーバルを模したコースがあったとは初耳でした。文章が過去形となっているように、サーキットとしてはとうに廃業していて、現在はご覧のような状態です(空き地……のように思えます)。

概要
  • 1972年7月にオープンの4.5km、セミオーバル・左回りの東北地区初の超高速コース。コース幅20メートル、ピット数40、アスファルト舗装。フラットコースだが第1&最終コーナーにカントがついている。
Wikipedia 日本語版「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」より引用)

ここには書いていないですが、ストレートが 1.8 km 近くあったらしく、

  • サニークラスですら最高速250kmに迫る超コースであった。
Wikipedia 日本語版「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」より引用)

「超コース」って何? まさか「逆コース」の親戚……なんて訳はなく、多分「超高速コース」という意味なんだと思いますが……。

かくして幻のサーキットと化した

しかし、その後は意外な運命に翻弄されます。

  • おもにストックカーレースを中心に開催された。しかし、オイルショックによるガソリン代の高騰、遠隔地なことから参加者の確保が難しく、また冬にはレース開催が不能で、海沿いであったことから砂がコースに入り、又水没したこともあり
Wikipedia 日本語版「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」より引用)

「冬にはレース開催が不能」はさておき(冬場は基本的にシーズンオフなので問題ない)、「砂がコースに入り」「水没したこともあり」というのはさすがにちょーっと……。上の写真からもわかると思うのですが、メインストレートは本当の海岸線を突っ切っていたそうで、間に観客席も何も無かったのだそうです。なるほど、これだと砂がコースに入ってしまっても不思議はありませんね……。

賑わうことなく1973年わずか10レースほどで幕を閉じた。
Wikipedia 日本語版「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」より引用)

ぐっはー。これはちょっと寂しすぎますねー……。国際格式のサーキットで、経営がうまくいかずに破綻したケースは「オートポリス」だったり「TIサーキット英田」(現・岡山国際サーキット)だったり、それなりに存在するわけですが、開業後一年で廃業ってのはさすがに……。

サーキットは死してサルを残した

ちなみに、閉鎖後もこんな「事件」があったそうです。

  • サーキット閉鎖後も敷地内は動物園として利用されていたが、動物園が閉鎖後、野生化したタイワンザルが近隣の植物を襲うので問題になったことがあった。
Wikipedia 日本語版「むつ湾インターナショナル・スピードウェイ」より引用)

相当りっぱな施設だったであろうに、わずか一年で姿を消してしまったあたり、「幻のサーキット」と呼ぶに相応しいと思うのですが、いかがでしょうか?

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International