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北海道のアイヌ語地名 (1110) 「ニタベツ川・徹別・蘇牛」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニタベツ川

nitat-pet
谷地・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ノウケップ川」の北、阿寒町西徹別で阿寒川に合流する西支流です。川の南西には「仁多別」という名前の三等三角点(標高 315.0 m)もあります。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ニタツヘツ」と描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」には次のように記されていました。

是よりまた十三四丁もかや原を行て
     イタツベツ
本名ニタツベツのよし。此川端樺木多きによつて号。ニは木也、タツは樺の事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.268 より引用)

あれれ? と思ってしまう解が記されていますが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Nitat pet   ニタッ ペッ   吥呢ヤチ

普通はこのように考えますよね。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) にも次のように記されていました。

現在は畑地・牧草地となっているが、平地を流れているかつてのこの川の流域は湿地帯であった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.247 より引用)

ということで、やはり nitat-pet で「谷地・川」と見て良さそうな感じですね。

徹別(てしべつ)

tes-pet
梁・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

道道 667 号「徹別原野雄別停車場線」の「四十一線橋」のすぐ北で阿寒川に合流する「徹別川」という西支流があります。「徹別てしべつ」はこのあたりの大地名のひとつで、1872(明治 5)年から 1923(大正 12)年までは「徹別村」が存在していました(1923(大正 12)年に「舌辛村」に合併)。

東西蝦夷山川地理取調図」には「テシヘツ」という川が描かれていました。戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」には次のように記されていました。

少し下りて
     テシベツ
川巾七八間。浅瀬急流也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.268-269 より引用)

地名解は「テシベツ」の支流についての情報の後にありました。

テシはテツシの略語なり。テツシは石にて川を留め、また杭を打て川を留め魚をとる処を云なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.269 より引用)

あー。「天塩」や「弟子屈」と同じく tes は「梁」だと言うのですね。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Tesh pet   テㇱュ ペッ   梁川 激別村

やはり tes-pet で「梁・川」と見て良さそうな感じですね。遡上する魚を捕まえるためのやながあったか、あるいは梁のように川を横断する岩があったと言ったところなのでしょうね。

蘇牛(そうし)

so-us-pet?
滝・ついている・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

道道 667 号「徹別原野雄別停車場線」(四十一線)の 2 区画北を通っている「四十三線」のあたりに「蘇牛発電所」という水力発電所があります。発電所の西から北西に広がる高台一帯が「阿寒町蘇牛」です。

「蘇牛」は「徹別」と同様に、1872(明治 5)年から 1923(大正 12)年まで「蘇牛村」が存在していました。戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」には次のように記されていました。

上りて木立原の崖三丁計り上り、かや原しばしを過て〔凡七八丁〕大なる原有。
     ソウシ
と云小川有。是アキベツえ落るなり。此原中土人人家三軒程有。其うしろ少しの平山なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.270 より引用)

「ソウシ」という地名(川名?)は記録されているものの、残念ながら地名の意味については触れられていません。

滝の川? 水中のかくれ岩の多い川?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Sō ush pet   ソー ウシュ ペッ   瀧ノ川 蘇牛村

うーん、やはりソーなるかぁ(©知里さん)という感じですが、阿寒町史には次のように記されていました。

 ソウシ(蘇牛)
 現在第一発電所の附近を「ソウシペツ」と呼ぶが、「ソ」は「ショー」と発音し「水中のかくれ岩」「滝」を意味し、「ショーナイ」とは「滝川」の意であり函館本線にもある。
阿寒町史編纂委員会・編「阿寒町史」阿寒町 p.62 より引用)

この文章のふわふわした感じ、更科さんテイストのような予感が……?(真偽不明)

 現地を見ると川床には巨大な岩が散在し、阿寒川はその岩に飛び散って流れている。むしろ後者の「水中にかくれ岩の多い川」と解釈するのが妥当であろう。
阿寒町史編纂委員会・編「阿寒町史」阿寒町 p.62 より引用)

ふーむ。説得力のある見解ですが、「阿寒川は」とあるのがちょっと気になります。というのも、「北海道実測切図」(1895) には「ソーウㇱュペッ」という「川」(阿寒川西支流)が描かれているのですね。

ソーウシュペッは実在したか

そもそも so に「水中のかくれ岩」と「滝」という解釈の二面性があるのが問題なのですが、良く考えるとこの指摘は見当違いで、「滝」には必ず「水中のかくれ岩」が存在する……ということなのだろうな、と今頃気がつきました。ソー言えば(©知里さん)so は必ずしも瀑布の存在を意味しない、という話もどこかで見かけたような……。

問題の「ソーウシュペッ」が「北海測量舎図」には描かれていない……という点もちょっと引っかかるのですが、永田方正が実在しない川をでっちあげたと考えるのも疑問が残ります。

阿寒町上徹別四十八線の西に「徹別」という名前の三等三角点(標高 379.8 m)があるのですが、この山の南から東に向かって S 字を描く谷が存在し、最終的には蘇牛のあたりで阿寒川に注ぐように見えます(ただし地理院地図には川としては描かれていません)。「北海道実測切図」の「ソーウシュペッ」は、おそらくこの川を指していると考えられます。

君は滝を見たか

「ソーウシュペッ」に滝があった……とすれば全て解決なのですが、この「川」は雨が降らないと水が流れないと思われるので、「滝のある川」と呼ばれるかどうかはびみょうな感じもします。

この「川」が阿寒川に注ぐところに段差があれば so-us-pet で「水中のかくれ岩・ついている・川」と呼べそうですが、この場合は o-so-us-pet で「河口・水中のかくれ岩・ついている・川」となりそうな気がするのですね。

めちゃくちゃ消去法ですが、おそらく似たような感じで「雨がふれば水が流れる」という谷がいくつかあって、その中で「ソーウシュペッ」は「滝のような場所がある」のかな……と。so-us-pet で「滝・ついている・川」としておこうかと思います。

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