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インディギルカ号の遭難 ─バック・トゥ・ザ・猿払村─

バック・トゥ・ザ・猿払村 パート 2

特別企画「バック・トゥ・ザ・猿払村」の第 2 夜です!

ひょんな事から、宗谷郡は猿払村に「日ソ友好記念館」なるものがあると知ったわたくし。平成の御代に「日ソ」を名乗るあたり、これはただものではありません。日本ハムソフトバンクだったりしたら目も当てられませんが……(←

陽光を背に、小さいながらもどっしりした佇まいを見せる「日ソ友好記念館」の姿です。

あれ……。あれ?

「日ソ」の文字がありません。取り外した可能性も考えられますが、文字の位置を考慮すると、もともと「友好記念館」としか掲出されていなかった可能性も考えられます。とりあえず、日本ハムソフトバンクは関係なさそうなので一安心です(←

猿払村 公式ホームページを見ると、さりげなく「日ロ友好記念館」と記されています。猿払村は Lotus Notes をお使いのようで……(← どうでもいい

インディギルカ号の遭難

中に入ってみましょう。

中は無人でした。明るい日差しが差し込む中、ロシア(あ、ソ連か)の名産品などがとりとめもなく並べてあります。窓の上には、写真のパネルが並べてあります。

そうそう。これなのですよ。この猿払村の沖合で、ちと昔に、「インディギルカ号」という船が遭難していたのでした。

パネルでは「インデギルカ号」となっていますが、アルファベットでは Indigirka、キリル文字では Индиги́рка なので、本稿では「インディギルカ」と表記します。

ミステリアスな遭難?

なるほど……。700 名以上が亡くなった、世界で 8 番目に大規模な海難事故だったのですね。では、このインディギルカ号の遭難による犠牲者は何名だったのでしょうか?

1939 年 12 月 12 日:オホーツク海にてソ連船「インディギルカ号」が座礁沈没、700 名以上が死亡。
Wikipedia 日本語版「海難事故」より引用)

これも「700 名以上」ですね。時は第二次世界大戦の前夜、東西冷戦も鉄のカーテンも存在していなかった……筈ですが、何しろ秘密主義が大好きなソ連のことですから、犠牲者の数もついぞ明らかになることは無かった、といったあたりかも知れません。

つづくっ!

なーんて、とぼけてみました。何しろ、相手はソ連です。ウラにはどんな事実が隠されていても不思議はありません。おいしいネタは先送りにして……Stay Tuned !

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