Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

春の道央・道北の旅 2010 (69) 「50 年目の稚泊航路」

気がつけばまだ夕方

そもそも、この日はホテルを夕食つきプランで予約していた関係で、「どうしても 20 時までにチェックインしないといけない」という話になっていたのでした。その為に帯広をいつもより早く出発したりしたのですが、気がついてみれば稚内に着いたのは 16 時半頃という……。前回、稚内に来た時もかなり早着してしまったのですが、次からは(また来るつもりなのか!?)ちょっと考えないといけませんね。

そんなこんなで、稚内全日空ホテルに向かいます(そういえば前回も同じホテルに泊まっているわけですが……)。

「西條」です

雨滴のせいでピントがぼけてますが、かの「西條」の稚内店です。

日本最北の?

こちらは、とても立派な橋桁ですが、上を通るのは JR 北海道の宗谷本線です。

もしかして、日本最北の立体交差というヤツでしょうか?(←

北防波堤ドームふたたび

てなわけで、またやってきました。「北防波堤ドーム」です。

防波堤」と「ドーム」が一体になっているという構造が斬新ですが、やはり古代ギリシャやローマの建造物のような雰囲気を醸し出しているのがグッと来る要因なのでしょうね。もともとの目的は「防波堤」なのですが、稚泊連絡船への乗り換え客に波しぶきがかからないように、ドーム状の構造になっている、ということですね。

中から見てみましょう。補修工事が行われているということで、とても 80 年前の建造物とは思えない、とても良い状態です。

感心するのが、曲線状の壁であり屋根である部分にも、きちんと柱に繋がる形で「梁」のような形に造形されていることです。デザインとしてもいいアクセントになっています。

それにしても、ドームの中に入っている乗用車があるのですが、どうやって入ったのだろう……。

稚泊航路記念碑

もう少し海沿いまで歩いて行くと、「稚泊航路記念碑」もあります。

「稚」は「稚内」で、「泊」は当時日本領だった南樺太の「大泊」(現・コルサコフ)のことです。稚内と大泊の間は国鉄の「稚泊連絡船」が運航されていましたが、南樺太を喪失すると同時に連絡船もその姿を消しています。

もっとも、港湾機能は健在で、「ハートランドフェリー」の船舶が停泊しているのを見かけました。

ハートランドフェリーは、稚内からは礼文や利尻への定期航路を運航しているほか、不定期ながら、コルサコフ(旧・大泊)への航路にも就航しています(1994 年より)。50 年ぶりの稚泊航路、ということになりますね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International