山田秀三さんのこと
今更ではありますが、アイヌ語地名の研究家として知られた 山田秀三さんについての話題です。
山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年 - 1992年7月28日)はアイヌ語地名研究家である。北海道曹達株式会社の経営者でもあった。東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究した。
というわけでして、1992 年に 92 歳でお亡くなりになっています。山田さんの凄いところは、あれだけの「アイヌ語地名」に関する著作がありながら、「実業家」としての仕事も全うされていた、ということに尽きるかと思います。さて、その人物像ですが、
人物
戦前はエリート官僚として東條英機首相とも交友し、戦後はアイヌ語地名研究家として金田一京助、知里真志保、久保寺逸彦と交友関係を持ち、知里真志保に「私の(アイヌ語研究の)弟子であり(現地調査の)師匠である」と言わしめた。
という、これまたいろんな意味で華麗な人脈をお持ちだったようです。ついでに略歴まで引用してしまいますと、
略歴
ということで、戦前・戦中を「それなりのエリート」として過ごしながら、公職追放などを食らうこともなく、戦後は準・国策会社のトップとして経営に尽力した、となります。
豪華極まりない華麗なる人脈
山田さんは、東京生まれながら、東北(仙台)・北海道(札幌・登別)に赴任したことでアイヌ語の地名にどっぷりと浸かったようです。ひょんなことから金田一京助博士の知己を得て、「北海道に行かれるのならいい人間を紹介しましょう」と言われて紹介されたのが知里真志保博士だったとされます。いやー、豪華極まりない人脈ですね……。
山田秀三文庫
山田秀三さんは、地名の由来を地図だけで判断することはせず、可能な限り現地調査を行うスタイルで有名でした。もっとも、現地調査を行う前の下調べも念の入ったもので、実際に多くの資料を所蔵されていました(これらの資料は「山田秀三文庫」として、「北海道立アイヌ民族文化研究センター」に寄贈されたそうです)。
これぞ本当の「遺稿集」
山田秀三さんの凄いところは、米寿(88歳)を迎えても執筆活動のみならず現地調査も続けられたことで、その成果は「東北・アイヌ語地名の研究」(ISBN978-4-88323-063-1)として刊行されています。帯には「山田秀三遺稿集」と銘打たれているのですが、この本の凄いところは、本当に「遺稿集」であるというところに尽きます。凡例にも
凡 例
一、本書は、著者が生前(平成四年七月二七日死去)、刊行を意図して準備したものだが、未完成原稿である。
と記されています。更には
一、著者の意向を尊重して、明らかな誤り以外は、原稿のままである。とくに地図は、高齢のため覚束ない手先で描かれており、読み難い箇処もあるが、そのまま掲載した。
とまで書いてあります。「高齢のため覚束ない手先で描かれており」は非道いんじゃないの、と思ったりもするのですが……(実物をご覧頂ければ一目瞭然ですが、「覚束ない」なんてことは更々ない、味わい深い筆致です)。
圧巻なのが p.202 で、まるまる引用してしまいますと、
(2) 出雲崎(新潟県)
もう少し暖めて適否を考えたいのであるが参考までに。
(参考)遠くて判断がしようがないが、出雲の大社の北の□□(ママ)は似た形。私は行っていないが、以前家内が撮ってきた写真を見ると、部落の北に小岬あり。或はと眺めた。飛びすぎるが出雲も似た形。それから拡がった地名かななどとお伽話じみたことも考えた。
(未完)
とあります。そう、まさしく「遺稿集」と呼ぶに相応しいものなのでした。
「アイヌ語地名の探求」をまさしく「一生の仕事」としてやり遂げられたことと、探求に対する学問的に誠実な姿勢は、今でも変わらぬ輝きを放っているように見えます。私が敬愛してやまない所以です。
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