「三航北国日誌」第 44 回です。本日は、ウエスタン・ラリアットとアックスボンバーの違いについてお届けします(違う)。
義経北行説・考
昨日の続きです。斯くして「義経=チンギス・ハーン」説は「砂上の楼閣」だと断じられたわけですが、次は「義経大陸行説」の元となった「義経北行説」について考えてみます。
まぁ、これも「義経は衣川で自害した」という史実が厳として存在するわけで、それを否定できるだけの材料は存在しないと考えられます。端的に言えば、これも「史実では無い」とするのが至極妥当な話です。
判官贔屓の真実
ただ、ここで考えたいのは史実の是非ではなく、なぜこのような伝説が語り継がれてきたか、という点です。まず考えられるのが「判官贔屓」という、もしかしたら日本固有かも知れない心情の存在です。「ホーガン贔屓」というのは、当時の新日本プロレスで、スタン・ハンセンやアントニオ猪k(ry
……失礼しました。話を元に戻しましょう。イチバァーン!(←
改めまして、判官贔屓の真実(←
「判官贔屓」について、このままテキトーなことを書いているとアックスボンバーを喰らいそうなので、久しぶりに新明解さんに聞いてみましょう。
ほう がん[1](ハウ グワン)【《判官】〔古制で〕四等官の第三。じょう。〔狭義では、検非違使(ケビイシ)の尉(ジョウ)を指す〕
ふむふむ。そういえば「平安京エイリアン」という TV ゲームがありましたね(いつの話だ)。
─びいき[5]【─〈贔屓〉】「はんがんびいき」の老人語。
「老人語」とは失敬な!(←) しかし、こういったことをさらっと言ってのけるあたり、さすがは新明解さんです。侮れません。ちなみに同じページの下の方には「豊胸術」という項目までありました。ますますもって侮れませんね。
リダイレクト先
ということで、「はん がん びいき」の項目を見てみましょうか。
はん がん[1](─グワン)【判官】①ほうがん。②〔古〕裁判官。─びいき[5]【─〈贔屓〉】〔兄頼朝(ヨリトモ)に嫉(シツ)視されて滅びた九郎判官源義経(ミナモトノヨシツネ)に対する同情の意〕第三者が、弱者の立場に在るものに同情する気持ち。ほうがんびいき。
意外と当たり前のことしか書いていません(←
死んだはずだよ
日本は古来から、国を二分するような戦乱が何度もあって、そのたびに数多くの「廃車」……じゃなくて「敗者」が誕生してきました。もちろん「負け方」にも色々あって、著しく品行に欠けた「滅ぶべき敗者」もあれば、反対に「惜しまれる敗者」も少なくありません。
後者のケースで、その死が些かでも不明瞭であった場合、その人となりをオシム語録……いや、惜しんで「生存伝説」がいつしか作られる、という流れがあるように感じます。「死んだはずの人が生きていた」という話としては、義経主従の他にも「安徳天皇」「真田幸村」「豊臣秀頼」「お富さん」あたりの名前が頭に浮かびます。
掘れば何かが出てくるディープな町
というわけで、義経神社の話題に行ってみましょう。
石段を登って、まっすぐ進むと本殿(だと思う)が見えるのですが、ここを右に曲がると……
なんと! 「平取油田記念碑」なるものがありました。確かに平取というところはいろんなネタが埋まってそうな印象がありましたが、まさか原油まで埋まっていたとは想定外でした。ふむふむ、どうやら昭和 30 年代前半の僅かな期間に採掘されていたそうですね……。
読めない(←
隣にはこんな石碑も。
拡大しておきますと、
昭和九年に立てられた石碑らしく、子弟の教育に貢献した人を顕彰する碑のようなのですが、浅学なもので上の三文字が読めません(……。)。一番左が「碑」で、一番右は「頌」のように見えるのですが、真ん中の字がさっぱりでして……。どなたかご教示をお願いします。
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