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北海道・東北の旅 2010/夏 (49) 「ハヨピラ自然公園の秘密」

「三航北国日誌」第 49 回です。本日は、インターナショナルどころではない、アクロース・ザ・ユニバースな内容でお届けします(←

お待たせしましたっ!

随分と前……1/21 付の記事(第45回「日本唯一の『できちゃったダム』」)にて、

「さて、これは何でしょう? 詳細はまた後ほど! すていちゅーんど!」と書いていたのをご記憶の方は……ごくごく僅かしかいらっしゃらないのではと思ったりもするのですが、「義経神社」や「オキクルミ」にうつつを抜かしていたのは、実はこの話題に関する深遠なネタ振りだったのでした。……と言い訳してみるテスト(←

実はこの謎の遺構、「ハヨピラ自然公園」というものの残骸だったりします。地方自治体にありがちな、ハコモノを作ったは良いものの採算が成り立たず放擲……という流れとはびみょうに異なるこの「遺物」について、私めのわかる範囲でだらだらと記してみます。ちなみに場所はこの辺です。

「ハヨピラ自然公園」の今

とりあえず、「ハヨピラ自然公園」の入り口(だった所)に行ってみましょう。

入り口(跡)には、このようなゲートが今も残っています。

どことなく「太陽の塔」を思わせるようなキッチュなデザインが印象的です。上には「H A Y O P I R A」と書いてあるのだと思いますが、どうにも "ARBEIT MACHT FREI" という文字のことが思い出されてなりません(不謹慎ですいません)。

閉園させていただきました

真ん中の看板を拡大してみると、

ハヨピラ自然公園は 災害の影響のため 閉園させていただきます ─ 平取町」とあります。「休園」ではなく「閉園」なので、即ち「廃園」ですね。

「ハヨピラについて」

そして、その右横には「ハヨピラについて」という案内板があります。

少し読みやすいように拡大してみますね。

どなたかの権利を侵害するということは無い……と思うので、全文丸々引用させてもらいましょう。

ハヨピラについて
 ハヨピラとは、オキクㇽミカムイ(アイヌにあらゆる生活の方法を教えたとされる文化神)の伝承が残る由緒ある土地として、地域の人たちに語り継がれている崖をさしています。
 ハヨピラのアイヌ語の語源には、次の二つの説があります。
    「ハヨㇰ(hayok)武装した  ピラ(pira)崖」
    「ハイ(hay)メカジキの吻(ふん)  オ(o)置く  ピラ(pira)崖」
     ~鋭い吻を防柵に用いた居城(チャシ)が築かれたと言われている~
       ※吻とは、口あるいはその周辺が前方へ突出している部分を指す

 ハヨピラは、オキクㇽミカムイが降臨し、住んだとされる言い伝えが古くからある一方、本当は魚をとるための漁小屋があった場所で、居城( チャシ )は 10km ほど上流にある、旧シケレペ部落(現在の平取町荷負附近)の額平川を挟んだ対岸の岩山であったともされています。
 いずれにしてもオキクㇽミカムイが住んだ土地ということを、沙流川流域に住むアイヌの人々はとても誇りに思っています。
 また、ハヨピラは、寛政十一(1799)年に江戸幕府の幕史であった近藤重蔵が千島調査の際に立ち寄り、義経像を寄進して社が建てられた場所でもあります。義経神社の前身であるこの崖の様子は、安政五(1858)年にこの地を訪れた松浦武四郎によって描かれています。
平取町「ハヨピラ自然公園」案内板より引用)

とまぁ、ここまでは至極マトモな?話が書いてあります。話がぶっ飛ぶのはここからです(笑)。

 昭和四十年頃に、オキクㇽミカムイの伝承に着目したUFO研究団体によって基地が建設されました。その後、平取町へ移管され、ハヨピラ自然公園として整備し、町内外の人々に利用されました。
 現在は、災害によって崩落の危険があることと、マムシによる被害防止のため立入禁止にしていますので、ご了承ください。
 オキクㇽミカムイの伝承、義経像が祭られた社、自然公園としてのにぎわいなど、往時の姿を想像しながら眺めてみてはいかがでしょうか。
平 取 町
平取町「ハヨピラ自然公園」案内板より引用)

そうなんですよ(笑)。実は、1 枚目の写真は「UFO 研究団体によって建設された基地の跡」なんですね。この「UFO 研究団体」については……また明日にしましょう。お楽しみに!(←

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