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隠岐ジオパークの旅 (104) 「黒木神社は南向き」

あれっ?

昨日の記事は「あれっ?」で終わりましたが、どの辺が「あれっ?」だったのかと言えば……。

こちらでして。お店の軒先にある、靴の裏の泥を取るアレなんですが、吹きっ曝しの場所に置いてあるというのは珍しいような。

そういえば、梅田の阪神百貨店のあたりにも吹きっ曝しのエスカレーターがありましたね。あれも割と珍しいような気がします。絶えず雨風に曝されるわけで、メンテとか大変そうで。

狭いながらも

さぁ、参道を登っていきましょう。

途中に「ちょうずや」(手水舎)があります。

……それにしても、随分と「隠岐神社」と比べると手狭な感じがしますね。立地の問題なんでしょうけど。

御創建は不詳なれど

引き続き参道を昇っていくと……

どーん。拝殿(だと思う)のお出ましです。

案内板もあります。

……ちょっと読みづらいので、フォトショに頑張ってもらいましょうか。

「御創建は不詳なれど後南朝の頃奉祭したるべく享保年間復興の棟札元禄年間の記録……」う、最後の二文字が読めませんね。「後南朝」って何だっけ? と思ったのですが、

後南朝(ごなんちょう)とは、1392年(明徳3年)の南北朝合一後、南朝の再建を図った南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動とそれによって樹立された政権、皇室の総称である。
Wikipedia 日本語版「後南朝」より引用)

ふむふむ。とりあえず旭堂小南陵とは関係無いことはわかりました(←

この名称は江戸時代末期に儒学者斎藤拙堂によって付けられたもので、それまで名称は特に決まっていなかった。また後南朝という呼び方も戦後広まったもので戦前までは定着してはいなかった。
Wikipedia 日本語版「後南朝」より引用)

ほうほう。南北朝正閏論はずーっと昔からあったのに、「後南朝」という用語?は戦後に広まったものなのですね。まぁ、北朝の流れを引く天皇を「現人神」として奉じる世の中にあっては、下手に「南朝正統論」は語れなかったでしょうし、当然と言えば当然か。そうか(←

続きます

……この話題は語り始めると長くなるので、今日はいったんこの辺で。また明日(みょうにち)お目にかかります。さよなら、さよなら、さよならっ。

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